ひまなつ延期しただけあって素晴らしい出来でした! フラッシュアップってどうなの?と最初は思っていましたが結果としてとても良く作風にもマッチしていていい雰囲気ゲーでした
メインヒロインの詠がとても可愛かったです! 原画は生徒会の一存などで有名になった狗神煌さんです
その他はケロQ、枕ではおなじみの基4%さん、硯さん、籠目さん 金剛石の原画で高苗京鈴さんです
スカジさんいわく推奨攻略順は 金剛石→ルカ→詠→雛桜だそうです 私はこの攻略順でやりました
これはいい。とても感動しました。OPを見たときに思わず泣きましたね。早いでしょうか。
罪を背負った女の子とその更生人、というのが主人公とヒロインの関係の基本になります。そこに主人公・ヒロインの過去という伏線を幾重にも重ねている秀逸なシナリオだったと思います。
少しあらすじを紹介してみますね。「罪」を「罰」という形で背負い続けるヒロイン達は、生活においてそれぞれが制約を受けています。制約を解消するにはヒロイン達が更生したことを示すしかありません。そして、それを促し導くのが主人公の役目(試験)です。主人公の師でもある法月によって彼女達は追い詰められていきます。まぁ、自分の責なんですけどね。そこで彼女達が見せる輝きを描いてます。
キャラの個性もいい。黒い男・法月のおっさんも最高です(一番黒いのは主人公ですが)。この作品からは熱いものと冷めたものの両方をはっきりと感じました。「人」というものを実に巧みに表現しています。そこに僕はこのシナリオライターのすごさを感じました。もちろん納得のいかない部分もあります。シナリオの統一によって二周目以降のおもしろさは9割近く減退します(二周目以降はED分岐とHシーンの有無だけが変化します)。それでも僕は購入を勧めることができます。
当たり前に新品が来ました。 静かなので、微風と弱風がわかりづらいですが、LEDの色の変化が便利です。 微がオレンジ、弱がレッド、中がグリーン、強がブルーです。 買って良かったです。
保健所が一部舞台になっているため、貰い手のいない犬たちを処分していかなければならない現実もある。
でも、そんな中で1人の保健所職員が、とある捨て犬にフォーカスし、家族としての大切なもの、
生き物として大切なものを見せていく物語。
夏休みなど家族で見ることで大切なものに気付かせてくれるきっかけになる作品。
感動の物語だけを嗜好したわけではないだろうけど、結果的に感動物語になっているので
涙なくしては見れない。
30年以上前の事である。NHKのテレビで、各界の様々な人々に、15分か20分位の時間を与えて、その人の信条や体験、意見、等を自由に語らせると言ふ番組が有った。「テレビコラム」と言ふ名の番組であったと記憶する。良く見て居たその番組に、或る時、ロシア文学者の内村剛介氏(1920年−2009年)が登場した事が有った。 内村剛介氏は、ソルジェニーツィンの作品の翻訳などで知られたロシア文学者であるが、氏は、満州でソ連に捕らえられ、戦後、永きに渡って、シベリアに抑留された体験を持つ人物である。その内村剛介氏が、或る夜、その番組に登場して語った氏の抑留体験の話は、私にとって、忘れられない物である。 その番組の中で、内村氏は、自身がシベリアで体験した事柄を独白する様に語った。その中で、私が忘れらない話は、内村氏が、シベリア抑留中に出会った一人のドイツ人捕虜の話であった。記憶なので、不正確な点は有ると思ふが、その番組における内村氏の回想を再現する。
「その収容所に、僕にドイツ語を教えてくれたドイツ人の捕虜が居た。アデナウアーの方が、外交が上手かったのか、ドイツの捕虜たちは、日本人捕虜よりも先に(ドイツに)帰国する事に成った。それで、私は、彼と別れる事に成った。その時、帰国するそのドイツ人が、僕にこんな事を言った。『自分には、ドイツで自分を待って居る妻が居る。だが、ドイツの女が、男を作らずに10年も待って居るとは思はない。だから、自分は、妻が自分がシベリアに居る間に作った男が3人までだったら、もう一度、妻と(結婚生活を)やり直す積もりだ。しかし、それより多かったら、やめよう思ふ。』。」
即ち、シベリアには、日本人捕虜のみならず、多くのドイツ人が多数抑留されて居た。その中の一人で、内村氏と親しくなったドイツ人捕虜が、ドイツに帰国する直前、こう言ったと言ふのである。そして、そのドイツ人は、内村氏にこう尋ねたと言ふ。
「『君の妻はどうなんだ?』と、そのドイツ人は私に尋ねた。彼がそう尋ねるまで、私は、そのドイツ人が言ふ様な事は、全然考えた事が無かった。私は、妻は、自分を待って居ると思って居たし、事実、待って居た。そこで、私は、大陸の人々と、私たち日本人は、時間に対する感覚が違ふと、思ったのだった。」
私の記憶による再現なので、一字一句同じ表現ではなかったと思ふが、これが、内村氏が、その番組で回想して居たそのドイツ人捕虜の言葉であった。旧枢軸国(ドイツ、オーストリア、ルーマニア、ハンガリー、イタリア等)の兵士で、ソ連の捕虜と成った兵士たちの中に、このドイツ人の様な人々は、本当に多数居たに違い無い。彼らの多くは、日本人捕虜と同様、シベリアで命を落とした筈であるが、生き残った者の中には、このドイツ人捕虜の様な人生を生きた者も多かった筈である。−−この映画(『ひまわり』)は、ソ連の協力を得て撮影された映画なので、ソ連が、ソ連に攻め込んだ旧枢軸国兵士を人道的に扱った事を西側の観客に印象ずけようとして居る面が有るが、実際には、このドイツ人捕虜の様な人々が多数居た事を忘れるべきではない。
この映画の背景には、内村剛介氏が出会ったこのドイツ人捕虜の話の様な歴史の悲劇が有った。この映画の物語は、星の数の様な、そうした無数の悲劇の一つに過ぎないのであるが、それを「戦争の悲劇」と言ふ決まり文句でまとめてはいけないと、私は思ふ。五十歳を過ぎて、つくずく思ふ事は、漱石が『こころ』の中で先生に言はせた様に、恋は罪だと言ふ事である。「罪」と言ふのは言ひ過ぎだとしても、恋は人間の業である。恋は、誰かを幸福にする一方で、他の誰かを不幸にする物でもある事を、この映画の物語は語って居る。「戦争の悲劇」と言ふ言葉だけで、この映画を語ってはいけないと、私は思ふ。この映画を作ったデ・シーカ監督自身が、離婚を経験した後、二つの家庭を持って生きたのは、偶然であろうか?
(西岡昌紀・内科医/ヨーロッパの大戦が終結して66年目の5月に)
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