この話は小さい時から好きだったのですが、やはり子供の時に原作を読んでも難しくてよくわからず、そんな時に出会ったのがあの猫の映画でした。 映画の原作も読みたくて、でも近くの本屋になくて、やっとみつけたのがここです。 内容は2パターンあって、どちらも宮沢賢治の小説を忠実に再現しようというのがよくわかりました。 おとなしい話ですが、気持ちがとても和みます。
原作はだいぶ前に読みました。 『アタゴオルは猫の森』は、人間とほぼ同じ体格の猫と人間が一緒に暮らしているという、不思議で、どこか可愛らしい世界観が大好きです。 その外伝・ギルドマの映画化と聞いて、本当に嬉しかったです。
オープニングからド派手な演出で、これは楽しい!面白い!と思いましたが、原作はシリアスな物語なので、エンターテインメントとしての演出はあってもなくても良かったような気がします。(原作を知らない方にとっては、ヒデヨシの性格がよく分かって良いかもしれません)
フルCGという事でしたが、全体的に雑な感じが見てとれました。他のアニメーション映画作品に比べて制作費が少なかったという話を後で知り、非常に残念です。 それに、せっかくの素敵なお話も飛ばし飛ばしやっているような印象でした。時間の都合である程度のカットは仕方がないのかもしれませんが、これでは物足りないなと感じてしまいました。
良くなかった所ばかりを書きましたが、ヒデヨシのふわふわの毛並み、漫画でしか見られなかった、あのぽってりとしたお腹…3Dならではの可愛さもあります。 それに、ギルバルスは反則と言って良いくらいカッコ良かったです。ギルバルスの演出では全然雑な感じがしなかったのに、テンプラとツキミ姫はおまけ程度な印象でしたが…;
また、キャラクターデザインが原作と異なる『女王・ピレア』の気味の悪いくらいの美しさは、見ていてゾッとします。 猫や人の命を奪って美しくなるという残酷さを際立たせています。個人的にはピレアの演出が一番のお気に入りでした。 最後にスタッフロールが流れる時に映る、アタゴオルの自然の風景はとても綺麗でした。もし本当にあるならば、あんな所に住みたいとまで思いました。
声については、想像していたのと若干違うような気がしますが、ヒデヨシ・ヒデコ共に有名な方を起用してあり、その点は大満足でした。音楽も良かったです。 私はどちらかと言うと漫画の方が好きですが、ラストはやっぱり感動して泣いてしまいました。
何となくですが、ファンの方に絶対おすすめ!という訳ではないなと感じます。 むしろ、原作を知らない人向けの映画ではないかと。(かと言って、子供向けの作品ではありませんけどね…)
小さい頃見た限りでは、どちらかというと意味の分からないアニメーション程度の印象しかなかったが、原作を作った宮沢賢治氏の作品を一通り通してから、大人になってみるとこの作品が如何に彼の繊細且つ孤独な感性を見事に映像化している事に脱帽。一般に言う多くのアニメーション(ディズニー)とは全く異なるベクトルにある作品で、主人公のジョバンニとカンパネルラはほとんど表情を変えずストーリー自体も非常にストイックで淡々とした構成となっている。猫という動物が超自然的なものやミステリアスなメタファーに古来から使われることからも、この作品のテーマを浮き上がらせるのに役立っていると思う。下手にオーケストラアレンジであったり、シンセサイザーで加工されていたりすることなく雰囲気作りを最大限に考え、ストーリーを邪魔せず見事に融和している音楽も素晴らしい。一つの絵を鑑賞するようにして考えず作品の世界に浸るように見ても十分に味わい深い作品だ。
アタゴオルと、そしてヒデヨシとお別れする日が来てしまうとは本当に残念です。 ますむらさんの作品はほとんど読んでいてどの作品も大好きなのですが、その中でもアタゴオルシリーズは別格です。 わたしはこのシリーズに描かれる一つ一つ全てが大好きです。 こんな世界に行ってみたいし、彼らの住んでいる家に自分も住んでみたいです。 それに物語は何度読んでも楽しいし、何度でも読み返したくなります。 わたしはこのシリーズに、ヒデヨシに、何度癒されたか知れません。
本作は、アタゴオル余波でますむらさんが仰っているように、震災の影響が見て取れます。 震災で犠牲になられた方々への祈りが込められた作品となっています。 それだけに物語に重厚さが加わっていて、しっとりとした落ち着きと深い響きが感じられます。 最終巻というにふさわしい素晴らしい作品を堪能できました。
これでしばらくはアタゴオルともお別れなのでしょうか。 いずれまた、できれば近い将来に、ヒデヨシたちと再会できることを楽しみにしています。
ファンタジーにはしりすぎて、原作の持つ、淡々とした中から、心に残る、強い感動がうすれた。とくに、一番大事な、ブドリが火山爆破のスイッチを押すために一人残るという、、自己犠牲の極致の場面が、具体的でないのが、感動が心に残らない要因のひとつかなあと思った。
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