平易に語られていますが、室井さんの92年の人生経験が詰まった一冊です。 功成り名遂げた人にして、ここまで謙虚なのかと圧倒される記述が随所にあります。 長く外国で「プロ」として生きてこられた方ならではの、日本社会を見る視点も参考になります。 NHKでも拝見しましたが、洒脱なお人柄も魅力的です。 私は、まだ彼女の半分位しか生きていませんが、あと40年したら、 こういう大人になっていたいなぁ、と思わせる方です。
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■世の中では「アンチ・エイジング」がブームだそうですが、何で若返りたいのか、私にはよく分からない。 だって、あの頃は、何も知らなかったじゃないの」って思うからです。 決して強がりなんかではなく、若い頃に戻りたいなんて、全く思いません。 それは、今に至るまでに積んできたものの貴重さ、それが表現者にとってどれだけ大切かを、 しみじみ感じているからです。 ヨーロッパで活動している頃、いわゆる「老年期」に入った音楽家達が、毎年見事な変化と 発展を見せる姿を目の当たりにしてきました。 余分なものが取り除かれ、洗練された老練な表現力に魅せられたこともたびたびです。 私自身、年齢とともに、「得たもの」と「失ったもの」を比べてみたら、「得たもの」の方がずっと大きい。 “老いてこそ”得たものを表現していかなければもったいない。 そして、またピアノには分からないことがいっぱいあるから、今の蓄積の上に、さらに少しずつ積み上げていきたい。(45頁)
■髪も染めていますよ。いっそのこと全部が真っ白、見事な白髪だったらそれも素敵だと思いますが、半端なまだらはちょっとね。 髪もボリュームが減ってくるので、ふんわりブローしてもらい、普段買い物に行くときなどは、ぺしゃんこだったら、帽子を着用。 “老いに甘えない”というのは、私のちょっとした美意識。身きれいにしている方が、人も自分も気持ちいいですね。(49頁)
■あるとき、ドイツ人の音楽家と話しているとき「ペルゼーンリヒカイト(立派に確立された個性)というのは生まれつきのもので、 自然に出てくるものでしょうか、それとも自分で見つけ出し、意識的に磨き上げるものなのでしょうか」と聞いたことがあります。 彼の答えは、「それは自然に出てくるものなのさ。勉強していれば、自然に確立されるものなんだよ」というものでした。 そして、私は、82歳のエリー・ナイの演奏を聴いて確信したのです。 怠けることなく生き、勉強を続けていれば、「個性」は自然と醸し出されるものだ、と。 (114頁)
■生涯独身です。いえ、まだ分かりませんが、たぶんね。 (140頁)
■人生に後悔はありません。 だって、後悔してってしょうがないもの。過去は振り返らない。常に前を向いていますね。 ただ、唯一の心残りがあるとすれば、子供だけは欲しかった。自分お命より大切なものを持ってみたかったですね。 「もしピアニストにならなかったら、どうしていたと思います?」って聞かれることもあるけど、 結構なんでも一生懸命やるタイプだから、もし主婦になっていたら、子育てに燃えていた可能性もありますね。 (152頁)
■たとえば親子でレストランに行ったとします。 「何を食べたい?」って聞くと、日本の子はたいてい「何でもいい」と答えます。 自分の意志を持っていない、意志が確立されていないわけです。 ドイツでは、何を食べたいか、ハッキリ言います。万一、「何でもいい」などと答えようものなら、 「お前の頭は空っぽか」と、親から叱られます。小さいときから、意志を確立するよう、教育されるわけです。 (174頁)
■今では、それが子供のためとばかりに、少しでも早くいろいろなことを身につけさせよう、先の教育を受けさせようと、親が頑張ります。 でも、5歳のときの生活を、たっぷり5歳らしく経験しなければ、子供は6歳になれない。6歳の時は6歳を十分に経験しないと、7歳にはなれない。 急がずに、その年齢なりの体験をさせてあげることも必要だと思うのですよ。5歳も、6歳も、7歳も、二度と来ない年齢なのですから。 それは何歳になってからでも同じ。 私自身、80歳になってからも、90歳になってからも、一年一年を目一杯生きてきました。だからこそ、人生に後悔はないといえます。 これからの92歳も、日々めいっぱい生きるつもりです。 (183頁)
以上、抜粋はすべて「大意」です。 ******************************************************
私は、クラッシックなど全く縁のない者ですが、 ちょっとリサイタルに行ってみようかな、ちょっとそんなことを考えました。 今後とも、ますますのご活躍をお祈りします。
TBSの永さんの番組で松島トモ子さんが紹介して即購入。このお年で素晴らしい!フジコヘミングしか知らなかったので、感激しました
『21世紀ヘのチェルニー 訓練と楽しさと』 がチェルニー(ツェルニー)の効果に疑問を呈しているのとは逆で、チェルニーは「やった方がよい」という前提で、「学ぼうと思えばこんなにいろいろ学べる」と楽曲分析をした本です。
悪く言えば、嫌がる子供をなだめすかす本です。 したがって、「チェルニーはほんとに役に立つのか」という肝心なところには触れていません。やって当たり前ということでしょう。
確かにチェルニーだって、凡庸とはいえ、曲といえば曲なので、学ぼうと思えば楽曲分析等、色々学べるのでしょうが、それはどうしてもチェルニーでなければ出来ないのでしょうか。
他の大作曲家の楽曲分析(アナリーゼ)の方が得るものが多いと思います。 『ベートーヴェン ソナタ・エリーゼ・アナリーゼ』 『和声と楽式のアナリーゼ』 など、他に優れた楽曲分析本があるので、それらに当たってみた方がよいでしょう。
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