O・ヘンリー(1862-1910)はサキと並んで短編小説の名手と謳われたアメリカの小説家である。彼が作家として活動したのは1895年からその死まで、わずか十数年ほどの短い間だが、その間に250編以上もの作品を残した。ユーモアとウィットに富み、人生の哀歓を涙と笑いを込めて描いた彼の作品は20世紀の初頭、主に新聞に掲載され、多くの読者の心をつかんだと言う。それから百年経った今日の世知辛い世の中においても、彼の作品は一服の清涼剤の如く、人々の心にゆとりと温かみを与えてくれるだろう。彼の小説は、多くが平均10頁ほどの掌編だが、いずれの作品もひねりが効いていて、どの頁を開いても楽しめ、通勤・通学時にもうってつけである。カバーと挿絵は武部本一郎。注釈や巻末の解説も大変充実していて、この作家についての理解が深まることうけあいだ。
収録作品は「ハーグレイヴズの本心」、「とりもどされた改心」、「運命の道」、「自動車が待っているあいだに」、「二十年後」、「魔女たちのパン」、「ある忙しい株式仲買人のロマンス」、「振り子」、「家具つきの貸部屋」、「アイキー・シェーンスタインの愛の妙薬」、「犠牲打」、「馭者台から」、「ポリ公と讃美歌」、「マモンと弓の使い手」、「お好み料理の春」、「運命の衝撃」、「最後の一葉」、「ラッパのひびき」、「賢者たちの贈りもの」、「れんが粉の長屋」、「インディアン酋長の身代金」の21編。
ジェイムズ自身も会心の出来だという、第42章。この内的独白に辿り着くために、この小説は読みすすめるべきだ。といってものめり込めば、ここまで来るのは決して困難ではない。ともあれ、ヒロイン(イザベル)が自分の夫(オズモンド)を分析するという、ただそれだけのことだけで、これほど手に汗握る迫力が生まれてしまうというのはいったいどうしたわけか。オズモンドの俗物像――世間を軽蔑しているかに見せて、もっとも世間に対する評価に敏感であるという性格――は、今を生きる我々とそう遠い存在ではない。第42章は、私にとって鋭利な人間描写を読みすすめる快感と、それが読む自分に跳ね返ってくるような不安とを同時に体験させる充実したひとときであった。
テレビで見てから、また見たくなり 発注しました。 画質がいいです。
この時代の英国王室を扱った映画や文学は、エリザベス女王、メアリー・スチュアート、アン・ブーリンというように、女性が主役の愛憎物が一般的(「男もの」はかなり古い『わが命つきるとも』くらい?)。このドラマも派手めで扇情的なポスターや予告から、その手のものを想像していました。
ところがびっくり、家庭内どろどろより俯瞰的で、ヨーロッパ全体の政治情勢を視野に入れた、とても面白い作品です。『ブーリン家の姉妹』があくまで私的な物語で、政治が何も描かれていなかったのと対照的。「でぶで好色の暴君」ではなく、若い頃は英邁を謳われた君主として、また情熱と弱さを併せ持つ一個人としてのヘンリーが主人公になっています。王だけでなく、ウルジー、クロムウェル、トマス・モアなど、主要登場人物はみな少しづつ価値観が違いながらも、それぞれ自分なりの最善を尽くす姿が、理想化されることなく描かれています。そのずれが悲劇を生んでいくのですが…。
第1部では特に、これまで「最後にしくじった金満坊さん」のイメージしかなかったウルジー(懐かしのサム・ニール)の、政治家としての老獪さ、懐の深さ、やんちゃで衝動的な君主に仕える辛さ、その君主への父親めいた愛情、俗っぽさが混じり合った複雑な人物像に感心しました。
第2部も、早く地位を安定させたくて焦るアンと、彼女への愛情を持ちつつも、流れで犠牲にしてしまった忠臣たちへの悔いやヨーロッパ内での政治的孤立に苛立つヘンリーの両方の言動に説得力があって、二人が次第にすれ違っていく様子が、「暴君なので飽きてしまいました」的ではなく、リアルに描かれていました。
物語がこれだけしっかりしている上でのヴィジュアルなので、16世紀というより21世紀ロンドンコレクション的なスタイリッシュな衣装も素晴らしく見えます。 小説では、ちょうどクロムウェルを主人公にした『ウルフ・ホール』の邦訳も出たところなので、合わせて楽しみたいです。
スラスラとはいきませんが すごくゆっくり丁寧に読む感じです。
根気があるひとや、一冊を長く読みたい人にはおすすめかも 先に日本語版読んでおくのもいいかもと思いました。O・ヘンリ短編集 (1) (新潮文庫)
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