ジョン・バリーの美しくも哀しい旋律に乗って、ママ・キャス(ママス&パパスのヴォーカリスト)が高らかに主題歌を謳い挙げ、暮れ往く西部を黄昏色に染める。「The good times are coming・・・」もうすぐ豊かな時代がやってくる、と・・・。エルマー・バーンスタインやエンニオ・モリコーネの勇壮な音楽は、もうここにはない。 『モンテ・ウォルシュ』は、ニューシネマの到来と共に消え去ろうとしていたジャンル、西部劇への鎮魂歌とも言える、哀切極まりない名品である。
舞台は西部開拓時代の終焉。文明の波が押し寄せ、銃がカネに、荒くれ男たちが資本家にとって換わり、古い男たちが消えゆこうとしていた。ベテランカウボーイのモンテ・ウォルシュ(リー・マーヴィン)とチェット(ジャック・パランス)は、町で馴染みの牧場主のブレナン(ジム・デイビス)に声を掛けられる。せちがらい時代に嫌も応もなく、彼のY牧場で働くことにするが、ブレナンの牧場は東部からきた資本家に買われ、彼も今は雇われ管理人だという。Y牧場では、拳銃の腕自慢の若造カウボーイ、ショーティー(ミッチェル・ライアン)ら荒くれ男たちと悪ふざけとケンカの日々・・・が続くと思いきや、コスト削減のためにひとり、ふたりとリストラされていってしまう。やがて相棒のチェットまでが、カウボーイを辞めて金物屋の店主として「身を固める」と言い、モンテが長年通いつめた踊り子で恋人のマルチーヌ(ジャンヌ・モロー)も、生活のため他の町に引っ越すと言い出す・・・。 忸怩たる思いで、モンテは誰も乗りこなすことができなかった荒馬を、カウボーイの意地でついに乗りこなす。そんな彼を見て、見世物のブロンコ・ライダーとして雇いたいという興行主が現れるのだが・・・。
この映画は、西部劇によくある善と悪の対決の物語ではない。だから派手なアクションやガンファイトはなく、描かれるのは時代の波に取り残されて、一人また一人と去ってゆく人々の、哀愁漂う人間ドラマだ。カウボーイたちが対峙するのは「悪」ではなく「時代の波」なのだ。 しかし、この物語は味わい深くて実にいい。ホントにいい映画で、書きたいことが山ほどあるのだ。
いきなりジャック・パランスから書き出すのはどうかと思われるかもしれないが、筆者が気に入ってしまったキャラクターの一人が、パランス演じるチェットである。数々の映画で悪役を演じてきて、いつも苦虫を噛み潰したような表情をしているパランスが、この映画では実に素敵な笑顔を見せ、聖書を愛読するインテリのカウボーイを好演。何だかそれだけで涙が滲んできてしまうのだが、マーヴィン演じる相棒のモンテと違い、チェットは体力の衰えを感じ、引退を考えているキャラクター。それは映画の冒頭の、狼を発見した二人 ― 西部の英雄伝説に挑戦して、格闘して手で捕まえようとするモンテを尻目に、とっとと銃でしとめてしまうチェットの行動に見て取れる。40歳を越えて、最近ひしひしと体力や気力の衰えを感じずにはいられない筆者には、他人事に思えない。これは、実はパランスの代表作なのではないだろうか!
監督は、『ローズマリーの赤ちゃん』や『ブリット』などの撮影監督を務めた、ウィリアム・A・フレイカー。カメラマンだけに、画づくりに対するこだわりが素晴らしい。実はこの映画に登場する人物たちの服や町の建物、調度品などの色はほとんどが、枯葉を思わせる茶色やセピアやカーキ色。婦人たちの衣装もそうなのだ。ジーンズのインディゴ・ブルーも、洗いざらしの色あせた感じで、色彩を主張する色が実に少なく、この見事な画面設計がこの映画の哀愁感を引き立たせている。 荒くれカウボーイお約束のケンカシーンももちろんあるのだが、乱闘の前に入れ歯を外すなどの細かい描写もあり、これがまた一層哀感を誘う。 「いずれ、カウボーイは一人もいなくなる」とつぶやく、インテリのチェット。 徹頭徹尾、こんなに切ない気分が漂う西部劇が他にあるだろうか。
この映画の最大の見どころのひとつに、何といっても、あのフランス映画を代表する大女優、ジャンヌ・モローのアメリカ映画初出演という快挙がある。20年にわたり、200本以上もの脚本を送り続けたハリウッドに、「ノン!」といい続けたジャンヌがOKしたのがこの映画。その理由は? 「気に入ったから」と、ただそれだけ(笑)。いかにもジャンヌ・モローらしいエピソードだ。 黄昏の荒野に散る一輪の名花・・・彼女が数々の映画で演じてきた「悪女」のイメージを一掃するかのような、ただ一人の男を一途に愛し待ち続ける、いじらしいヒロインを可憐に演じる。 「なあ、俺たちなんで結婚しなかったんだろう」とつぶやくモンテに、「一度もプロポーズしてくれなかったから」と答えるいじらしさに胸キュンです。
そして、主役のモンテ・ウォルシュ演じるリー・マーヴィン。共演のジャンヌ・モローも、「シナリオや監督の指示以上のものが、自然ににじみ出てくる者こそ本物のスターよ。(マーヴィンは)そばに立っているだけで、モンテの人間的な温かさや愛人役としての親近感が伝わってくるのよ」と絶賛。頑固一徹なタフガイ、「最後のカウボーイ」を、存在感たっぷりに演じている。 ただ一人、時代の波に抗おうとするモンテの象徴的なエピソードが、荒馬を乗りこなそうとするシーン。この馬は白馬だ。全てが「セピア」に彩られている中で、この馬はモンテが抗おうとする「新しい時代」を象徴しているのだ。 給水塔をなぎ倒し、店を滅茶苦茶にして、このスタンピードを乗りこなすシーンは、まさにこの映画の最大の見せ場なのだが、ここにモンテの生き様が凝縮されている。
カウボーイをリストラされた若造のショーティーは、やがて牛泥棒や強盗に手を染めていってしまう。 「職がない。牧場もなくなっちまった」と彼は言う。しかし、ショーティーと対峙したモンテは言う。 「俺は荒馬を乗りこなしたぜ。やればできるんだ」
この映画には、貧しさのあまり、道を踏み外してしまった男たちはいるが、真の悪党はいない。ショーティーも、泥棒になり下がってしまっても、人の心を捨て切れなかった男なのだ。最後のモンテとの対決の中でも、そんなショーティーの心の裡がちゃんと描かれていて、涙を誘う。 この素晴らしい物語を提供したのは『シェーン』の原作者ジャック・シェーファー。
人々が「The Good Times」と呼んだ新しい時代。その到来と共に、退場しなければならなかった人々がいた。しかしそんな中、ただ一人その波に立ち向かった男。彼の名はモンテ・ウォルシュ。 荒野の彼方に去っていったモンテのその後は、誰も知らない。しかし筆者は信じる。彼は最後までカウボーイとしての生き方を貫き通したのだと。
こんな名品が、いまだにDVDになっていないなんて、罰が当たりますよ。 急げDVD化!
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1970年作品、 リー・マービン、ジャック・パランス、ジャンヌ・モロー主演、 原作はシェーンと同じ作家、 19世紀末、ガンマン(無法者)の時代はとうに過ぎ、カウボーイの数も急激に減少し始めた時代の流れに翻弄されるベテラン・カウボーイたちの物語、 最近のハリウッドであれば迷わず「ラスト・カウボーイ」とタイトルされたと思う、 時代の流れの中で消え去りゆくものたちへの挽歌のような作品であり、胸をかきむしりたくなるような詩情豊かなシーンが続く逸品、クリント・イーストウッド作の西部劇に匹敵する内容だが日米共にDVD未発売、美しい映像が続く作品であり発売が待たれる、 おそらく製作者たちは、カウボーイと西部への挽歌としての作品であるとともに、「西部劇映画」が終りそうな1960年代末から1970年代始めに西部劇映画そのものへの最後の西部劇のような思いを込めて作ったのではないかと思わせる、 全体的に静かな映画であるが、圧巻は劇なかほどでリー・マービンが暴れ馬を乗りこなすシーン、評者の少ない西部劇映画の知識では馬を使った最高のアクション・シーンとおもう、ジャンヌ・モロー演じるとうの経ちはじめた娼婦が良し、ママ・キャスの歌う主題歌も良し、 今世紀初頭にトム・セレック、キース・キャラダイン、イザベラ・ロッセリーニ主演でリメイクされた作品もアメリカでは評判をよんだようである、
メグライアンのちっとばかりの抵抗かな。世界中にのファンにささやかなるそれをやってのけた。永遠なる笑顔の持ち主メグのしられざる本性がチラリズムとともに。作品の意義とは別に、本来の持ち味いいこちゃんの脱却が必要だったかいなかは今も疑問。みるべし。
待ってました!というかんじの、ライアン・フィリップのヒーローものです。 IT産業を舞台にした作品で、専門用語なんかもでてきますが、誰でも、 スッと話に入っていけます。内容も、誰が敵なのか?誰が味方なのか?と 最後まで、息をつかせないストーリーになっています。キャスティングも いいし、ライアン・フィリップ演じるマイロがゴマアレルギーという設定も おもしろい!
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