普通に四半世紀、マンガを読んできている人なら知らぬ人はいない作家。 やまだ紫は間違いなく「女性漫画家」の始祖の一人だ。 70年代に「COM」でデビューし「ガロ」に移り「ビッグコミック賞」佳作も取った。しかしすぐに結婚と出産育児で休筆。「性悪猫」で復活しその後火山の噴火のごとく名作を立て続けに発表する。「しんきらり」は団地に住む子ども二人と平凡な夫を持つ主婦の物語で、不倫や子どものエキセントリックな不幸やドラマも何も起きない。平々凡々とした日々が描かれていく。 しかし世の中、この平凡な日常こそがドラマであるということに気付かせてくれたのが、やまだ紫である。 昨今絵柄が古いとか、ディテールに時代を感じるとか、そういうことで表層的にしか作品を読めない人もいるものだが、余計な上っ面の部分を取り除いて核となる作品そのものを見るとき、やまだ紫の作品はどれもきらめく宝石のような輝きを失わない。 これから母になる少女たち、いま母であり妻である女たち、そして何より世のオトコどもに読ませたい。読むべき作品だ。
作中に出てくる、詩のような、モノローグのような一説にノックダウンされた。 しばらくずっと、頭の中からこの一説が離れず、悲しいような切ないような、 けれど、誰かと話をしたくなってしまうような、不思議な気持ちに包まれた。
「やさしい自分であろう やさしさを 失くすまい と貴方が思うとき 貴方は淋しいのだ / やさしく 在ろうと努めたことが 誰の 何の 為になったろう と思うとき 貴方は 傷だらけだ / やさしさ なんかに こだわるうち 貴方はちっとも やさしく なんかないんだ」(「さくらに風」より)
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