映画ははっきり言って好きではありませんでした。…ただこの音楽は好き過ぎるのでつい買ってしまいました。但し殆どの曲に共通した主題が使われているので少々飽きが来るのが早いかもしれません(笑
この本のことは同名の映画を観て知った。フェルメールの描いた絵を元にして作られた映画、とiTunesの紹介にあり、興味を抱いて見たところ、すばらしい映画であった。そしてこの映画は同名の小説を原作としている、との解説があったので、早速購入して読んだのだった。
筋書きは、タイル職人であった父親が事故に遭って盲目となったために、フェルメールの家に女中として働くことになったグリートが、フェルメールの絵のモデルとして描かれるまでを物語ったものである。
当時のオランダの中都市における、保守的で慎ましやかな女性の生活や、つましい人々の暮らし、オランダ内に浸透しつつあるプロテストタント、などが、おそらく歴史的背景を元にして描かれているのであろうが、物語の流れを際立たせており、それと映画の情景が重なって、心地よく話の筋に流されながら読むことができた。言ってみれば、これは美に関して天与の才を与えられた少女・グリートの、画家・フェルメールへの憧れと尊敬を語った物語である。グリーとの美に対する感覚がフェルメールに尊敬の念を抱かせたものであり、愛情物語と仕分けるのは浅はか過ぎる。
話が佳境に至るまでの作者の細やかな情景設定が心憎い。まずは、冒頭でのグリートの野菜の配置ぶりを描き、ガラスを拭くことによって室内の光が変わる事への懸念をグリートに言わせる、そのグリートの感性をフェルメールが一早く察知し、助手として使い、更にはモデルに登用して行く過程が自然に語られていくのだった。
更に感銘を受けたのは映画についてである。この物語を一時間半と言う凝縮された映像にまとめたその脚本と監督の手腕に感心し、よいものを見せてもらったと感動した。物事を簡潔にまとめる事は難しい手法の一つだと、私のように冗長な文章を書くものに取っては苦手なのだが、話の本質を損なう事無く、情感たっぷりに作り上げたものだと、感心したものだった。
楽しい。とにかく楽しい。10月から始めて漸く終盤にさしかかっています。ベッドの脇にテーブルを寄せて朝、寝ろ前に少しづつやって、背景の黒の微妙なグラデーションに難儀してますが、ゴールが見えてきました。ライトの角度を変えながら、色の違いを比較しながら、そしてパターンを読みながら「はまる」瞬間が最高ですね。次の絵画を考えてます。
ピーター・ウェーバー監督「真珠の耳飾りの少女」(スカーレット・ヨハンセン主演,2003年)の原作。 映画と原作とで大きく違うところは,原作では映画のラストのシーンの10年後(1676年)の話が入っていること。フェルメール,画商のフォン・ライヘンは亡くなっている。 「真珠の耳飾り・・」の絵の完成後,フェルメール家から追い出された主人公フリートは,ご主人の死を聞いて,かつて女中をしていたフェルメール家を弔問する。妻のカタリーナから例の真珠の耳飾りを受け取り,処理に困ったフリートはこれを質屋(?)に入れ,お金(20ギルダー)を受け取る。 原作ではそういった逸話が最後にある。他でも微妙に異なる個所があるが,あまり気にならない(映画では耳朶にイアリングのための孔をあけるのはフェルメールだが,小説では最初左の耳朶は自分で,右はフェルメール)。 全体がフィクションだが,著者は相当に丹念に調べて書いている。訳もよい。出色の小説だ。
1点の肖像画をスタート地点として、その時代と一人の少女の架空の物語が丁寧に構築されていると思う。 映画では、不幸な境遇にある少女にとってフェルメールがどんな存在だったかはぼやけているので、映画だけ観た人も映画とは違った魅力を感じられるはず。 それから、謎多き画家と言われるフェルメールについて分かっている事実はきちんとおさえられていて、美術ファンも納得できる内容です。 ただ、翻訳が古風すぎ(少女の言い回しとか)?体言止めを多用した独特の訳文も妙にひっかかる。
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