TVドラマの曲をそのままCDに入れてあります。 聞いてると1つ1つシーンが甦ります。 ファイティングガールファンの方にはおススメの1枚です。 すべて、ボーカルなしのサントラです。
全米ではヒットせず、日本でも大人気のメグ・ライアンなのに劇場公開されなかった。 実在の女性マネージャー、ジャッキー・カレンをモデルにしたドラマ。 映画はそれほどシリアスではなく、明るい感じのドラマに仕上がってます。けっしてボクシング映画ではありません。 見所は何と言ってもメグ・ライアンですね。登場シーンからカッコよく、セクシー系の衣装。場面、場面でコロコロ衣装が変わり、楽しませてくれます。 劇場未公開作には、けっこう安っぽい邦題が多いですが、この「ファイティング・ガール」というタイトルは意外と合っていると思います。 M・ライアンが男性社会で苦闘するタフな女性を演じていて、特に女性の方に観てもらいたい映画です。
1は、プログラミングされたディジタル・サウンドのバックでストリングスが鳴っている大仰なバラード。 2は、アコースティック・サウンドもフィーチャーされた、落ち着きのあるバラード。当然のごとくバックにストリングスも鳴っているが、やや控え目。 3は、1の別ヴァージョンで、ほとんどスクラッチ・サウンドで埋め尽くされている。 本作も昨今のJ-POPの定型の典型といえるスタイルの作風で、食傷気味になるのだが、楽曲の良さで救われている。 小泉今日子似の落ち着きのあるヴォーカルも、曲調とマッチしており、良い味を出している。 それだけに、ありきたりすぎる音作りが残念に思わせる。
これは今から3年前の夏、7月から9月にかけてフジテレビで放送されたドラマだ。映画、テレビを問わず、僕はこれほど素晴らしいドラマをほかに知らない。 このドラマについて短く語ろうとすること自体、とても無理のあることなのだが、強いて言えば、友情を扱ったドラマということになる。 「友情?」と問い返す人がいるかも知れない。そんなありきたりなものを扱ったドラマが本当におもしろいのかと。しかし、考えてみてほしい。大抵の場合、ドラマとは友情や愛情を描こうとするものだ。だから、正しくはこう問わなくてはならない。 「あらゆるドラマが友情という同じモチーフを描こうとするのに、なぜおもしろいものとそうでないものとに分かれてしまうのか」と。 答えはこうだ。ー「独りであることにどれだけ自覚的であるか」ー ムラ的共同体では友情がないと言われるのは、友情が存在するためには、実は「個人」が前提になるからだ。世間が幅を利かせるムラ的社会では、人は孤立を恐れて個人たり得ない。 しかし、このドラマで深田恭子が演じる吉田小夜子は世間に自分を合わせたりしない。自分が考え、思うところを貫こうとするがゆえに、小夜子はとても孤独だ。しかし、そのように世間と衝突し、自分がまさしく独りであることを自覚したとき、何かが反転するかのように、他人との出会いが、俄然、意味のあるものとして重みを持ちはじめるのだ。小夜子にとって一人の他人でしかなかった留学生アミが、たしかに友と呼びうる存在に変化していく様子を鮮やかに描いてみせる脚本家の神山由美子は紛れもない天才だと思う。そして、同じことを神山由美子は他のドラマでも繰り返し、繰り返し描いている。
ラヴ・コメの女王が実在の人物、ボクシングのマネージャー、ジャッキー・カレンを演じています。勿論、LOVE、無しです。 若作りしていますが、往年の面影は少ししかありません。時代の移り変わりを、認識させられた作品でした。
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