戦時中に制作開始されたこともあり、上映時間も短い商品だが、なかなか面白い作品。黒澤映画の中では小品だが演出も凝っており、隠れた傑作だと思う。 テンポも良く、60年以上前の作品だが、今見ても面白い。カットの切り替え等も効果的だと思う。
和製ミュージカル(?)とでもいうべきなのか、ふんだんに歌が盛り込まれ、エノケンをうまく使っている。黒澤監督が山本嘉次郎監督の弟子だということが再確認できる作品でもあると思う。
一方、日本の伝統芸能を題材にしている点では、後の「蜘蛛巣城」「乱」などの源流的な側面も持っているのかも知れない。
俳優はそれぞれ重厚かつコミカルな演技を見せる。富樫の藤田進が鷹揚な大人ぶりを見せて好演している。
著者は現職の国会議員と元日経記者でアメリカで活躍するジャーナリストです。2人の体験を基にアメリカのジャーナリズムを引いて日本の権力と報道の癒着を告発しています。
まず3.11のあとの原発報道において日本のマスコミは政府発表を垂れ流すばかりで独自の取材も調査も放棄していたと指摘します。しかし、ニューズウイークなど世界の報道機関は福島原発が重大な局面にあることを早くから警告していたと言います。この違いはどうして生まれたか、とその原因と背景が示されます。
政府、官公庁、警察の発表に寄りかかり、独自の取材や調査を軽視する傾向。政治家に取り入り政局報道に終始する記者たち。内部通報者に冷たく権力に弱い体質。軽減税率や電波利用料に見られるマスコミと政府の馴れ合い。
これでは著者が「政報複合体」と呼ぶのもうなずけます。原発デモのほとんど報道されず内部通報者が孤立する(西山事件など)背景が明らかにされています。こうした権力と報道の癒着が国民の知る権利を侵し、どれだけ世論を歪めているか。考えるとぞっとします。「朝日」「毎日」を左偏向だと攻撃する人たちがいますが、実態はかなりの体制寄りだと知りました。
本書の主張は真新しいものではありませんが具体例を丁寧に挙げているので説得力が違います。権力依存の報道から国民目線の報道への転換すべきだとの著者の主張に共鳴しました。
八ッ場ダム問題、年金問題、原発問題に積極的に発言を続ける河野さん。
まさに利権が絡み、学者も企業も政治家も既得権益の糸に絡み取られている仕組みが書かれています。 貨幣というモノがいかに人間の心を蝕み、郷土や国土を台無しにしているのか。 法律の抜け道の作り方、発送電分離を阻止した経緯、環境アセスメントに猛反対した原子力ムラ(これが後にリニアやダムにも関係してくるようです)。 また、他の方も書かれていますが、新聞業界が広告費のためにPR記事を書き出した経緯にも触れています。 自然エネルギー法案への攻撃(自民党政権時代)と原子力ムラに都合の良い法制化
そして、すべての分野での「ムラ」の存在(年金、ダム、教育、食糧等)が広告宣伝費のもとで国民に知らされないと河野さんは指摘しています。
国民主権であるならば、国民一人一人が真剣に政治家を選んでいかなければ日本が存続しえないところまで来ていると感じた一冊です。
みんなの党の江田さんが「財務省のマインドコントロール」という本を最近出しましたが、各省庁と議員族が既得権益化しているのでしょうね。
子供たちとどうぞのいすの劇を3月にします。 リズムもかわいいので使わせていただきます。
各章の頭には、河野太郎政権が樹立された際の約束事がまとめられており、 この約束事をベースに話が展開するのでわかりやすいと感じました。
基本的には社会保障やエネルギー政策に重点を置いており、 その背景も数値的なものからよく勉強していなるなという印象を受けます。
ただし、各論はよくわかるが、全体としてどういう日本を目指していくのかという 総論をもう少し読んでみたかった気がします。 そこが曖昧である印象を受けたため、各章の政策が実現する際の効果や その政策に伴う弊害(プロセス、コスト、時間等)、懸念点などが評価しづらかったです。
議員は民衆の代表なので、何か訴えたいことや疑問があれば事務所を訪ねて欲しい。 デモや署名よりもはるかに効果が高く直接話しが通じるという話は、意外だったので とても参考になりました。
|