新谷さんが学生運動に加わってから、その後のずーといろんな人に出会って、その人達を理解し共に生きていこうという姿勢を貫いてこられた立派な人です。新谷さんが尊敬する淡谷のり子さんも偉いです。
>淡谷のり子の慰問コンサートの最中、特攻兵士たちが会場から立ち去ろうとしていた。淡谷さんは泣き叫んだ。「あんたたち、死ぬんじゃないよ!元気でお母さんのところへ帰ってきてね!」淡谷さんが軍当局によって書かされた始末書は50数枚。
三里塚、山谷、被差別部落、パレスチナ、在日、ベトナム反戦、在日、シモーヌ・ヴェイユ、戦争、障がい者、難病、、、それぞれつながっていると思いますが、その本質をつかみ心を寄せていく姿勢、感銘を受けました。
作曲家、山田耕筰が先の戦争に際してどのような行動をとったのかは、 現在では明々白々だけれど(軍服で騎乗している写真も公表されている)、 そのことを「論文」として纏め上げたことに敬意を表する。 内容や出来栄えについては評価は別れるかもしれないが、 研究課題を認め、暖かく見守って指導した教師にも拍手を送ろう。 なんせ、相手は日本の「大作曲家」である。書き手や指導者双方に、 どのようなお咎めやいやがらせがあるかわからない状況だったはずだ。 H.v.カラヤンといい、山田耕筰といい保身の旨い奴は後々出世するものだ。 蛇足だが、新谷のり子さんへのインタビューはなくてもよかった。 山田耕筰とは全く別の問題である。
みなみらんぼう、新谷のり子、PANTA、はしだのりひこ等発禁になった曲の人たちへのその曲を巡る時代とふりかえってのインタビューである。 この中でよく知っている人は、はしだのりひこで、ここだけ熱心に読んだ。 フォークルのイムジン河がCDで復刻しており興味深いものであったが、これらの人たちは、60~70年代の共産革命、ベトナム反戦等に才能のピークを得た人たちであり、時代を映す曲が公権力の力で発禁処分(性格には自粛)となった。はしだのりひこは、前進の京都の音楽シーンなどが語られておりおもしろい。
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