市川実日子と、小西真奈美以外のキャストだと難しいな、と思う反面、18歳を演じるには、二人とも辛いよね、って思いました。特に、小西真奈美。年齢を重ねた凄みが、どうしても彼女の場合は、滲み出ちゃう気がします。 原作はまだ読んでいないのですが、映画の内容自体は、日常が淡々と流れて行きます。懐かしさも、ありました。好みがはっきり分かれる作品だと思います。好きな人は、好き。嫌いな人は嫌い。自分は好きな人。 ただ、監督さんの原作に対する思い入れが強いのが、とても感じられます(原作を読んでいなくても。)。もうちょっと、それが薄まってくれていたら良かったかな。それが、ちょっと息苦しい。 そして結局自分は、市川実日子が大好きなんだなぁ、と痛感せざるを得ないのが、正直な所かも知れないですね(苦笑)。それだけで、星4つだもん。彼女が出演していなければ、多分、星3つ。
男性として、かつ原作を読んでしない者として記入します。もし誤解があったらすみません。 この映画は美術とキャメラがすばらしい。ありそうでない日本風の障子や丸窓のあるマンション、手すりのさび付いたアパート、風俗店(の裏方が変にスタイリッシュ)とか、母親を見舞いに行く千尋のベスパが、画面に入っていくところとか、自転車で上る坂と通過する電車の処理とか、突然手持ちカメラになるところとか、思わず「うまい!」と言ってしまう位です。しかし他の人もう触れていますが、録音がいまいちです、大事な独白やsexシーンの微妙な声の変化(この映画でのsexシーンはすべて意味があります)とかが台無しです。 この映画では明滅する希望が最後にありますが、実はわざと(周到に明示を)避けているものがあると感じました。それは、外部環境に左右される自己の弱さであり(摂食障害なら吐くこといしかができないのか?絵描きならプロに徹せよとか、反対になあなあな勤め人と風俗店の女性達とか)、自分を成長させる必要性(求めるものがすべて外部にあるとの映画のストーリーの中での設定とかです)を十分認識するかとかです。 これらすべてを含んだ「仮想の」リアリティは十分説得力があります。 独創性が独りよがりでない貴重な作品です。
魚喃キリコの作品を読むには、少し力がいる。なにせ男である私が、すんなりとここに描かれている人物たちに同調できるわけでもなく、長い間本棚に収納されていた。魚喃キリコを読むきっかけは、自分の恋に対して見つめるときなのかもしれない。
短編集という作品集には、魚喃キリコの物語のエッセンスが見られる。
「痛々しいラブX」の主人公の心理は、「strawberry shortcakes」の秋代の心理だし、「鈴木さん」は、完全に「strawberry shortcakes」の主人公のひとりである。
おそらく魚喃キリコのその後の作品を成す短編は、様々な読みを私たちに与えてくれる。
「痛々しラヴX」で描かれている主題は、男と女に友情は生じるのか、という問題だし、「そして恋は始まっていく」は、恋の始まりに論理は必要ないのではという問題だし、「ある女のコのお誕生日」は、高野文子的だし、「日曜日にカゼをひく」は、多くの小説家が描いた三角関係の問題だと、なんでも読み解くことができる。これらは、おそらく深読みしすぎだし、純粋に恋に燃える女性たちの心理を読み解くのが本当の読み方だろう。
魚喃キリコの作品は、難しい。それに、読むまでに力がいる。ただし、1回読んでしまうと、ほとんどの作品に目を通したくなる。それは、高野文子の作品を読むようだ。
何が楽しいわけでもなく、かといって嫌なことが続いているわけでもない。 可もなく不可も無い日常。 でも、なにかが足りなくて満たされなくて、それでも上手に表面上坦々と日々の生活を繰り返す。 そんな毎日を送っていたときにこの本に出会いました。 どの主人公にも自分にあてはまる部分が多々あり、その度に胸が痛んで、 「なんだ、私こんなことも思ってた」 ってまるでこの本が私の言葉を代弁してくれてるかのようだった。 読み終わる寸前には涙が溢れて、読み終えてからしばらく涙が止まらなかった。 でも、泣けてとてもすっきりしました。 ああ、泣きたかったのか、私、と。 この本に今出会えてよかったです。 心のもやが晴れて、すっきりしました。
すごく透明感のある世界を描く人だなって思います。 海辺の女子高、記憶はブルー。 ただ海のそばだから「青い」のではなく 純粋で、傷つきやすい、でも一生懸命な 主人公達が、いい意味で「青く」「透明」なんです。 だから、ブルーといっても、すごく透明なブルーを イメージさせる話。 私は同姓を好きになったことはないんですけど それでも納得できてしまう話。 そして、ラストで泣いてしまいました。
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