沖縄テイストのハスキーボイス、まさに爽やかな風に吹かれているようなこの1枚。どの曲もじんわりと心に染み入ってきます。これまでの2枚のアルバムとだぶりも少なく、また、「大丈夫ロングバージョン」のような新録音もあり、シングルを買わない私としては、ずっとjimamaを聞いてきたにもかかわらず、オリジナルアルバムのような1枚です。癒されるってこういうことなんだと実感でききるアルバムです。
バケツ一杯で考える「水」の授業 というサブタイトルがついている通り、 さまざまな水問題を身近なものに置き換えて、とてもわかりやすく説明してくれる。
ラーメンの汁で汚れた水をきれいにするために必要な水の量とか、 0.01秒間にグリーンランドの氷河が溶けるスピード、 水道料金の全国平均、日本人一人が一日に食べ残す量など、 切り口がとてもおもしろくて、「へぇ〜そうなんだ」と思いながらどんどん読んでしまう。
水問題を真面目に考える前に、 水問題に興味を持つことが大事なんだと思わせてくれる。
読み物として単純に楽しめるオススメの一冊。
易しい文と凄くたくさんの綺麗な写真に癒されます。 ハタタケルさんのファンもそうでない人も両方におすすめです。
著者の両親は当時日本領だった台湾で出会い、父が貿易会社を経営するベトナムで新婚生活を始めたとのこと。敗戦の混乱の中、日本へ引き上げる直前に著者はベトナムの野戦病院で生まれました。 無一文で日本に帰った父は商才を生かして全国を飛び回るようになりますが、いつしか水商売の女性と深い仲になり、家に帰らなくなりました。 仕送りも途絶える中、母は父への恨み言を一言も口にせず、「何があっても大丈夫よ。お母さんがあなた方を守るから、安心していらっしゃい」と明るく奮闘してくれました。父の不在は仕事が忙しいから、と信じていた兄が父の許を訪ねた後、高校を欠席し、夜遅くまで街にたむろするようになりました。 母は「モーボサンセン」と宣言し、母の実家である新潟に引越します。立ち直った兄は、後になって「猛母」に感謝したとのこと。(もちろん、正しくは“孟母”三遷です) 著者は新潟で高校を卒業した後、その頃ハワイでレストランを経営していた父の許に行きましたが、父は1年もしないうちにレストランの経営権を奪われて日本に帰りました。ハワイ大学に入学していた著者は、父に逆らってハワイに残り、アルバイトと奨学金で卒業まで頑張ります。経済的に苦しい生活の支えになったのは、母の「大丈夫よ」という励ましでした。 その後、日本で仕事を初めた時も、ジャーナリストとして頑張っている時も、テレビのキャスターになった時も、ずーっと母の言葉が著者の支えになっていたようです。16年続けたキャスターを辞めて言論活動に専念したいと思った時も、「よしこなら大丈夫。必ず出来るから、挑戦して御覧なさい。私たちが応援します」と言ってくれました。 著者が10年と決めた「言論活動に専念」する期間をあと1年で終え、次のステージに著者は向かっていくことでしょう。 「何があっても大丈夫」という母の声を背にして。
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