ヴェンダースというと「ベルリン天使の詩」とか「パリ・テキサス」あたりが有名だけど、それよりもっとヴェンダースらしい作品のような気がします。「アメリカの友人」とかが好きな人には向いているかも。もちろんリスボンの町並みもすてきなんだけど、オープニングからまさにロードムービーの雰囲気。マドレデウスの曲もすてきでした。「ことの次第」ほどマニアックではなく、もっとゆったりと楽しめる感じ。わざわざ単発で売られていたのも納得です。ただし、もちろん、スリリングなアクションとか盛り上がりとかはないです。
余談ですが、他の作品同様、なんだかいろいろと細かいところに細工がしてあるのに気がつきます。主人公が音響技師なので自分でマイクを持って歩いていますが、これがなにげない設定なんだけど、よく注意して聞いてみると面白いですヨ。エンドクレジットまで遊び心満点で、またいつものように繰り返し見てしまいました。
ゆっくり楽しんでくださいネ。
裏切りや復讐が物語りの軸となるので、やや暗い感じは否めませんが、非常に重みがり、読み応えのある 作品です。50年の長きにわたる物語ですが一気に結末までひっぱられ、さまざまな伏線が慎重に張られ ていたことに驚きをもって気づかされます。
録音技術者の主人公が、友人の映像作家から、古い撮影スタイルの作品に音楽をつけて欲しいと頼まれて、リスボンに赴くが、なかなか友人と会えない。
けれども、友人が撮影したフィルムを目にすることができた。
そこで彼は、その映像に音をつけるべく、昔ながらの録音スタイルで音をつけたり、みずからヘッドフォンとマイクを持ってリスボンの街を録音して歩きながら、友人を捜すのだが・・・
ヴェンダーズは、単純に好きな映像作家の一人です。
その中でもこの作品は「音」を主題にしている感じがして好きです。
プロであれ、アマであれ、録音に携わる人にとって、
「聴こえる」という当たり前の感覚に対して、
単純に驚きと喜びに、日々接していると思われます。
アインシュタインは、死ぬということを
「モーツワルトやベートベンが聴けなくなること」
と簡潔に語ってます。
映画は前時代への郷愁を誘うものかもしれませんけど、
録音に携わる一人の男の物語、
録音、音の真空パック、の技術者の後ろ姿を描いてくれてるような印象を受けます。
余談ですが、サラ・ムーンという写真家・映像作家が映画黎明期の頃の手法で
ショートフィルムを作っていたりするそうです。
自分はまだ見ていないのですが、是非見てみたいです。
録音、撮影は20世紀の産物で、歴史的には比較的新しい技術、文化と思います。
黎明期の作品には、単純に、音や絵に対する素朴な驚きや喜びが含まれているような感じがします。
目や耳が汚れてきたな、って時にはこれを見てリフレッシュしてます。
録音技師ウィンターは映画監督の友人にリスボンに呼び出される。待てど暮らせど戻らぬ監督。ようやく出会えたと思ったら,自分の目を通して撮った映像は死んでしまうからと撮影を止めていた・・・。
ヴェンダース自身の,映画の原点に立ち返ろうとする心の軌跡を描いたような作品。マドレデウスの限りなく澄んだ音楽とリスボンの眩いばかりの景色が,光と影を行き来する映画世界を心地よいものにする。
本作を観終えた時,魂が吹き込まれたのは彼等だけではなかったことに,きっと気付くはず。
なぜか気になる本だったので読んでみることにした。
哲学小説という聞きなれない分野、聞いたこともない作家、 アメリカやイギリスというなじみのある国のお話でもない。 でも、なぜかひかれて読み始めた。
グレゴリウスがあるできごとにより今までの生活をすて 自分の街、仕事、住まいを後にする。 そこが強調されて紹介されているが、それは物語の始まりの始まり。
アマデウ・プラドの本に出会い、それは母国語でもないのに苦労して読み進む。 その文章が太字で表示されながら、グレゴリウスとともに読んでいく感じ。 哲学小説といわれるのは、この文章があるからだろうか。 深く理解しようとすると、そこで挫折するのではないかと、適当に 読んでいく。よくわかる文もあり、納得して、うなづきながら読める文もある。
プラドをめぐる人々が興味深い。 それを追いながら、グレゴリウスも変化していくのが 飽きさせない。
ひきつけられるストーリーだ。
読後、何か、課題を終えたような達成感を味わえた。
おもしろかった。 敬遠せずに読み始めたら、夜行列車に身をおくように 導いていってもらえるような気がする。
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