毎年レコ芸の現代曲受賞作品をチェックしているが、昨年度は日本人の細川氏の作品が受賞。確かにこれといった目新しい作品はここ数年上がっていなかったのだが。武満トーンが感じられるハープ協奏曲「回帰」、随所威嚇・崩壊を示し鳥肌が立った。「森の奥へ」では床をたたく足音が効果的に世界との関わりを示しているし、「相聞歌」では長唄を現代音楽タッチで表現している。最後の「想起」についてはマリンバという楽器から「うねり」を引き出したもの。アコースティックからの 環境音楽へのアプローチといったところか。全体にリラックスして傾聴できるのがいい。
当時の政治社会は既に武家の論理に取って代わられており、大夫として律令政治の到来に引き裂かれた万葉の歌人家持の時代以上に、単なる武人の力に日本全体が押し流されようとしていた。そんな中で歌人、文人として独立した表現主体たることは容易ではない。新しい中世政治の中に武力化する政治以上の力を制御し包含する言葉を彼らは見出し得ず、ひたすらそこから離反し身に詰まされるようにして正常な自立心を獲得するしかなかった。もう一人の万葉の歌人人麿が民衆の歌をともに歌い宮廷歌人として政治に歌の呪力を与えることも惜しまなかったのに対し、中世にはもはや歌の世界を継承することさえ至難の業だったろう。古墳時代の後に中央集権の強大な国家権力が完成する前に民主政治の息吹が日本列島に芽生えることはなかったように、平安末期の政治経済の立て直しが歌の言葉によって成し遂げられることはなかった。しかし、仮に世を遁るるの道を歩むことさえもしなければ、古代より細々と命脈を保ってきた歌という覚醒した意識による自然認識とそれに基づいた自己認識自体が戦乱の世に尽き果てていたろう。政治的敗者たる崇徳院と歌の独立を獲得した西行。その対照性が最終部において一際引き立ち、高貴な文体の中で何度となく訴えられる「歌による政治」という言い方が悲痛な叫びにも聞こえる、著者畢生の大作。
北杜夫氏と辻邦生氏は、気質的には違っていながらも、共にトーマス・マンを愛し、日本では数少ない、読み易いながらも深く広々とした世界を描く小説家だと私は思っている。
本書は、その二人の若き日の往復書簡集。
その出会いは、北氏が空襲で家を焼かれ、旧制松本高校の思誠寮に入った1945(昭和20)6月。年上ですでに入寮していた辻氏によると、「斎藤茂吉の息子が来る」ということで、その転入は噂になっていたそうだ。それ以来、辻氏の死まで二人の交友は続いた。
本書に収録された1948(昭和23)年から1961(昭和36)年までの書簡を読めば、その友情の深さ・濃さが良く理解できる。また、後に『楡家の人びと』『輝ける碧き空の下で』、『安土往還記』『背教者ユリアヌス』といった名作を書いた二人の小説家の若き日の率直な思考や悩みを知ることもできる。
文学的な面白さだけでなく、旧制高校の中で育まれた“男の友情”とはどういったものだったのかなど、興味は尽きない。
二人の対談集『若き日と文学と (1970年)』も併せて読まれることをお薦めする。
3巻に分かれたこの大傑作も遂に最終巻を迎える。本巻もユリアヌスの劇的な生涯を余すところなく伝えて読者を飽きさせることがない。皇帝コンスタンティウスの政策に反発したガリア兵たちによる皇位登極要請の受諾およびその決断に至る苦悩、東方への進撃、コンスタンティウスの死による帝国の統一の実現、宮廷政治の革新(彼の足をこれまでひっぱってきた者達の処罰は痛快)、運命のペルシア遠征出発、笛吹けど踊らぬローマの神々復活政策の不成功およびその象徴たるアンティオキアのキリスト教徒との対立、ペルシアへの侵攻およびその失敗、そして異国の地で迎える死。こんなに短くも波乱に富んだ生涯を送った皇帝は他にいるだろうか。忠臣たちに囲まれての臨終は、まるでギリシャ神話の英雄の死であるかのごとく、悲しくも気高い。そして彼の遺骸を皇帝旗につつんでローマ軍がペルシアを去る姿は、高い理想を掲げつつも、成し遂げられなかったことがあまりに多いユリアヌスの無念といつの時代にも変らぬ諸行無常を感じさせずにはいられない。この壮大な小説の最後を飾るにふさわしい最終巻と言えるだろう。
本書は、昭和61年から雑誌に継続連載されたエッセイの中から家族内の出来事を中心に編集されたものです。御存知のように北さんは、本年10/24にご逝去され、今後も何冊か遺作が出る可能性はありますが、現時点では、これが最終刊の本です。私も40年以上前、大学生でしたが北さんの文学にはまり、楡家の人々、白きたおやかな峰、どくとるマンボウ青春期等を読み漁りました。又、この当時、精神科医の作家が輩出し(北さん、なださん、加賀さん、そうそう茂多も)、憧れたものです。
内容は、北さん独特のユーモアで家族の事を記したエッセイですが、やはり一番興味深いのは、ページ数も一番多い株騒動の事でしょう。北さんは、良く御存知のように、ソウウツ病で、ソウのときには、株式の短波放送を聞くと、まるで進軍ラッパを聞いた馬のようになって、ついつい株を注文してしまうらしいです。それも現物ならまだしも信用取引をしだすと素人では手に負えません。上がっているときはいいですが、下がり始めると追証、追証で自転車操業、実際、借金、前借、返済の繰り返し。ご家族の方は、さぞかし大変だったでしょうね!そして、そんな父親の姿を見てきた由香さんの結婚です。北さんは、娘さんの結婚式で、一度も味わわなかったなんともいえぬ感情が私を捕え、私は一瞬、両眼に涙が溢れるのを感じたと書いておられます・・やはり父親ですね!
そして、解説をその由香さんが書いておられます。由香さんは、父親のそうのときに散々な目に遭っていますから、父親の本を殆ど読んだことがないそうです。家族旅行をしたことがないとか、母親は、あのそうの狂乱時代を良く乗り切ったとか、娘特有の厳しい見方が目立ちますが、最後に、どれも懐かしい昔の思い出である。明日も父を起こして散歩にゆくが、あと何年、続けられるのだろうか・・・と文を結んでおられます。最後に少しほろっとなりました。本文以上に、解説に心打たれました!!
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