一言で言うと、列車版「ボートの三人男」と言ったところでしょうか。ジェローム・K・ジェーロムのユーモア小説はイギリス紳士がボートでテムズ川をさかのぼってゆくという物語です。いかにも英国紳士といった会話に思わずクスリとしてしまいますが、刻々と変化するテムズ川の美しい景観の描写も素晴らしい。阿房列車も単に面白おかしいだけで無く、戦後の様子もこちらに伝わってきます。同行者のヒマラヤ山系とのコンビもぴったりです。解説には山系は 百の愛読者で原稿が欲しさで同行したとありました。でもヒマラヤ山系も自分が「まるでどぶ鼠」だとか「汚らしい」なんて書かれるとは思ってなかったろう。そんな事も考えながら読めばもっと面白いと思います。 阿房列車を読んだら、是非「ボートの三人男」も読んでみて下さい。
<元気コメント> 自由奔放に生きようとした知識人達に乾杯 (シネマ・プラセットのテントが懐かしい)
本当に少しだけのコラム程度なので、コメントするまでも無いのですが、 無料なので気になりませんでした。
明治から昭和を生きた夏目漱石門下の小説家・内田百間。 この映画は、その内田百間と彼を取り巻く教え子との交流を 教え子の年1回の会合「摩阿陀会」を中心に描いたヒューマンドラマです。
随所にみられる内田の素朴で正直な人柄。それに惹かれて集まる教え子達。 内田を松村達雄、妻を香川京子、彼の教え子を所ジョージや寺尾聡、 井川比佐志らが淡々と、かつしっかりと演じています。 彼らの熱演により、毒のあるやりとりにも、ほのぼのさが現れています。 そして最も印象に残る「オイッチニ!オイッチニ!」の場面。 ばかばかしいですが、大の大人がこれほどばかになれる会の存在に憧れます。
黒澤監督の作品には、大きく分けて戦争ものとヒューマンドラマの2つがあると 思いますが、ヒューマンドラマの中では個人的におすすめの作品です。
たとえば、「百鬼園先生言行録」では、「独逸語は解らんです」という学生に百鬼園先生はこのよう応じるのだ。
「六ずかしいから勉強しなければいかん」 「全体、独逸語に限ったことではないが、外国語を習って、六ずかしいなんか云い出す位、下らない不平はない。人間は一つの言葉を知っていれば沢山なのだ。それだけでも勿体ないと思わなければならない。神様の特別の贈物を感謝しなければいかん。その上に欲張って、また別の言葉を覚えようとするのは、神の摂理を無視し、自然の法則に反く一種の反逆である。外国語の学習と云う事は、人間のすべからざる事をするのだ。苦しいのはその罰なのだ。それを覚悟でやらなければ駄目だ。」
「しかし、先生、独逸語はその中でも六ずかしいのではありませんか。何だか不公平な様な気がするんですけれど」
「公平も不公平もあったものじゃない。ただ自分のやろうと思った事を一生懸命にやってれば、それでいいのだ。我我が人間に生まれたのが幸福なのか、不幸なんだか知らないけれど、君が犬でなくて、人間に生まれたのと、君がこうして僕から独逸語を教わっているのと、みんな同じ出鱈目さ。ただその時の廻り合わせに過ぎない。誰だって人間に生まれる資格を主張して生まれたわけでもなく、人間を志願した覚えもない。気がついて見れば人間だった丈の事さ。犬や牛から云わせたら、随分不公平な話だろう。黙って人間になり澄ましておいて、その癖、独逸語が六ずかしいから、不公平ですなんか云い出したって、誰が相手にするものか」
まことに痛快、滑稽のきわみ、嬉しくも可笑しくもなってくるから不思議。まさしく、これぞ“百鬼園的こころ”なのだーっ。日常的価値観を相対化するこのパワーがすばらしい。 昨今、流行のグローバリズムがなんだ。市場原理主義がなんだ。キャリア教育がなんだ。ぼくはこういう先生がいて欲しいとかねてから願っているし百鬼園先生が大好きなのです。
本著は、随筆集としては最初のもので、『冥途』以後に書かれた小品・随筆的文章・小説など、なにもかもこの文集におさめたものらしい。それにしても何といえばいいのかこのスタイルと感覚。小説であろうが随筆であろうがこの著者のスタンスには、いつも超偏執狂ともいえる唯我独尊をつらぬく文章力で圧倒される。漱石門下とはいえ、その独特の才能は早くから異才を放っていたに違いない。このことは、名著『冥途』を読めばなおさら疑いようがない。
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