連載が始まった当初は「こんなに重厚な話を長編で読めるのか…!」と思っていたので、予想よりもずっと早く終わってしまって正直寂しいです。こんなにハラハラしながら漫画を読んだのは久しぶりでした。
この巻は目覚めたシノや声を取り戻したヒカリ、サイの過去にカヅキの出生の秘密、そして彼らが目覚めた理由…など、更にはオマケのカバー裏まで見逃せない展開になっています。 最終回を読んだ時は色々思う所はありましたが、この話があくまでカヅキの(若しくはカヅキとサイの)物語なのだとしたら、あの終わり方で良かったのだと自分は思える様になりました。
この漫画に出てくる少年少女達は殆どが身寄りのない孤児ですが、その誰もが誰かを想っている。決して彼らは孤独ではないのだと思わせてくれる様なラストでした。お互いに甘えている所がありつつも、考え方が違ったカヅキとサイが本当の意味で友達になれたのか自分には分かりません。ただあの状況下で見せたサイの笑顔は、悲しくも救いを感じさせてくれました。 そして後半に進むにつれ逞しくなっていくカヅキがとても良かったです。やはりヒカリちゃんの存在がなければここまでの成長はなかったと思います。だからこそ成長したカヅキが逞しく生きて行く姿をもっと見ていたかったですね…。
長くなりましたがこの作品が少しでも多くの方に読んでくれる事を祈りつつ。 藤野先生お疲れ様でした!
若いですが既に15年選手となった漫画家さんの 今作は最も優しい思春期物語になったと思いました。青春ジュブナイル という言い方が帯でされてあります。柔らかな絵柄に反した 実は硬質で カミソリのように鋭い藤野さんの作風、そこは少し抑え気味の 正しく青春SFストーリーとなった本作。ジュブナイルという言葉が 本当に似合っています 今の若い方には この言葉と『BLUE-BLUE JUPITER』という かっこいいタイトルで期待値が上がる歳のいった漫画読みの心理は謎かもですけどもw
優しくて 易しい漫画です。藤野さんの作品がネットでよく言われるのは「終わり方が良くない」ということです 特に長期連載作品。エンディングのことでつっこまないではいられない作家 それが藤野もやむ、そんくらいの勢いです 『蒼きユピテル』は次の巻で終了します。ボリューム感は 少し長めの短編漫画といったところなのです
モヤリとしない完璧な終わり方。爽やか。登場人物は少なく女の子の初夏を切り取った作品。これも私がジュブナイル漫画っぽいなと思った部分です
カミュの『異邦人』、とうもろこし、父親の歌、といったアイテムの 主人公の女の子への効き方もさすがでした。
「そうやってガマンしていれば、嵐は通り過ぎるって思ってる?」 ウェブ漫画サイトで、連載開始直前の寒い頃、私が見かけた予告はそんな文だった気がします。真摯な漫画家さんなんだなと思いますよね。 『蒼きユピテル』は青春SFの王道「未知との遭遇」を扱った漫画です。 この2巻において顕著に見られるのは、私が藤野もやむ印と見ている「愛され型の主人公とは大分違う、その在り方をビシビシ周囲から否定される主人公」の部分。 この2点が合わさって、女の子と「神さま」の追いつめられてく姿というのが、読んでいてかなりハラハラしましたし、切なさもあるんだと思います。
救いはあるにはあるけど、個人的にあまりにもささやかな救いのように思えて溜め息が出てくる前作『忘却のクレイドル』においても、嵐、という言葉は出てきました。 「何かあると布団をかぶって嵐が通り過ぎるのをただ待つみたいな、平和ばかと自分は違う」 そういう意味のセリフを放つ男の子がいました。 『クレイドル』4巻は2011年1月に、最終5巻は6月に発行されました。 本土を離れた島で、少年たちが日本の戦争兵器として、つくりかえられるその時点で、しかし日本は目的もいみも喪失しています。少年たちが目を覚ましたその理由は、サラリと残酷なものなのです。
『ユピテル』は前作よりずっと分かりやすいストーリーラインですが、やはり内省的。 珍しく作者さんの出身地・宮崎を舞台にもってきているせいか、雰囲気も独特。 周りに言いたいことがあるなら吐き出してしまえばいいのに、ちゃんと泣けばいいのに、と1巻で主人公を、悪意からでなく挑発してた女の子が、2巻では自分の感情を暴走させている様はサラリとした見せ方ですけど強烈。
10代が感情を持っているということ、それがどれだけ善いことで、嫌なことか、忘れず描く漫画家さんです。
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