久々に「私小説」風を読んだ。ねじめ正一が書く北村太郎の私小説。まあこの生き様といい、日記や手紙や詩が挿入される手法といい。俺は現代詩とか詩人にはめちゃくちゃ疎くて関心もないんだけど、意外に詩人というのは普通の人なのだなぁ、という感想を持った。波乱万丈といえばそうなのかもしれないけど、夫婦関係、親子関係、友人関係、師弟関係、恋愛関係、どれひとつとっても、その感覚って突飛でもないし違和感もない。逆に、アメ車に乗ってほとんど足を使って歩かないっていう鮎川信夫の日常は、詩人って先入観を突き崩す。詩作を、ある種一般の人にとっての労働に近いものとして捉えている感覚も新鮮。 詩ってのは、そういう誰もが持つ感覚を何かに変換したアウトプットなんだろうけど、残念ながら俺にはその変換されたアウトプットを受け取る感受性が欠落している。だから、挿入される詩もまったく琴線に触れるところがないんだけど、こうして小説ってアウトプットだと、北村太郎って人に対して自分なりに想像したり共感したり反発したりすることが出来る。しかし、この人は幸せだよなぁ、っていうか羨ましいよ、色々な人と色々な関係が持ててさ。まぁ、それも小説っていうフィルター通して、読者っていう安全地帯からの感想であることは言うまでもない。モダンとかロマンって外野から見ている分には楽しいけど、当事者として巻き込まれるのはいやだもんな。やっぱ、その覚悟を持てるかどうかってのは芸とか文学とか表現者の資質、条件なのかもしれない。しかし、俺もいい年なんで、老いとか性(生)への執着とか身につまされるなぁ。この小説って北村太郎って人物を通した人間賛歌って趣きもある。ねじめ正一のリスペクトっつーか、取材ぶり、乗り移りぶりも凄い。個人的には、北村太郎が横浜大洋ホエールズ・ファンであることに一番共感したんだけど(ジャイキチのねじめ正一が書いてる点も面白い)。
3部作だが、すべて気に入って何度も読んでいる。 60年代の商店街の様子が新鮮かつ懐かしく、それに触れたくてついつい手にとってしまう。 なにより主人公の少年にとても好感が持てる。 素直で子どもらしい部分も持ちながら、一人っ子として大人達に囲まれ、商売人の家に育った環境からか、世事に長けた判断もする点がリアル。 おそらく女性読者はこの少年にかなりの確率で非常に好感をもつと思う。
にんべん三代目伊勢屋伊兵衛の苦境をはね返す努力と成功を描く半生記。 伊之助は大店の次男坊。 跡継ぎではない気安さの一方にある世の中ナナメに見る僻み根性とも 相俟って、なかなか商売に身がはいらない。 そんなところに父親が突然倒れ、兄と二人、いきなり双肩にのしかかる 重い店の経営。 当主を継いだ兄の婚礼に、客が来ないほど落魄した時代を乗り越えて、 にんべんは江戸一番の大店にのし上がる‥。
幼い頃の伊之助の疑問「商人は何のために商売を大きくするのか?」に、 父は「おまえもあきんどになるのなら、答は自分でみつけるのだな」と 応える。 立派に店を盛り返し、その答を見いだした時、伊之助は三代目伊兵衛を 継ぐ決意をする。
あきないとは?という重い命題に明快な回答をさりげなく示して、爽やかな 読後感につなげている。
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