スライスの厚さの調節は、本体裏にある四角いコロを回すことで、台の高さが変わり、刃の部分の隙間が変わります。 四角コロなので、ポジションは4つありますが、1つは収納時ポジションで、台が刃より高くなるため、 無理に刃に指を突っ込んだりしない限り、刃には触れなくなります。 洗うときなどには安心です。
製品の特性上、刃が一方向のみしか付いていません。 食材(特に長ネギ)によっては、往復させると断面がぼろぼろになり、うまくスライスできなくなるものがあります。
店舗でサラダを提供するのに、シャキシャキキャベツを出したくて購入いたしました。以前勤めていた店舗で本格的なキャベツスライサーを使用していたので、若干切れ味には不満が残るかな? もうちょっとだけ薄目を期待してましたが、自店のような個人経営の店舗なら問題なし。しかも短時間でカットできます。洗浄も簡単にできます。キャベツの甘みが堪能できる切れ具合に、現在は満足しております。
スランプに陥ったアーティストの花火(山崎まさよし)はひょんなことからヒバナ(富田麻垂美)という謎の少女と山奥の廃校でひと夏を過ごすことになる。みずみずしく光るキャベツ畑、澄んだ夜空に静かに浮かぶ月、虫の声、、、、。その空気感までもが伝わってくるようだ。 山崎の『One more time,One more chance』がストーリーをさらに盛り上げ、彼の演技も初々しく透明感あふれる作品。
“キャベツ”といえば……キャベツくん、そしてブタヤマさん……そんなことを思いながら 読んでいるうち、ちらりとですが本当に出てきて、にやり。
父が亡くなったのは「ぼく」(洋)が中二の冬。母が働くようになり、妹の美砂はまだ小五。 以来、料理はぼくの担当になった。 十九歳の大学生・ぼくの目線で、ときにコミカルに、ときにしっとりと日常が描かれる。 大学とご飯作りとその他の家事、バイトと読書で毎日が過ぎてゆく。
家事をしながら、いろいろな年齢の主婦になりきって独り言ちるようすは笑いを誘うが、 ぼくの作る料理は読む方の食欲を誘うほどに美味しそうで、わがまま放題に メニューのリクエストをして作ってもらう妹の美砂が羨ましい。
中盤から、妹の美砂の心模様がかぶさってきて、ぼくと美砂の決して言葉にはしない 気持ちが絡みあうようすが、ちょっぴり切ない。 兄に親友のかこちゃんを紹介し、デートまでさせるのには美砂なりの思いがあったから。 かこちゃんの一言でそれがわかる。 ふとした会話から美砂の抱えている痛みを知ったぼく。 わがままいっぱいにふるまう(ように見せていた)美砂の健気さに立ちつくすばかりだ。 でも、美砂はちゃんとわかっている。このままの日々は永遠に続かないことを。 うまく表現できないんだよね。イライラや不安を素直に口にするなんてこと。 この美砂の心の揺れや微妙な空回りのようすは、石井さんならではの こなれ方でうまい。
ぼくと美砂の父方、母方の双方のおばあちゃんたちがこれまたすてきなのだ。 良く生きた人の智慧も洒落っ気も併せもち、とても魅力的なおばあちゃんたち。
すべてがキャベツから始まった物語。 ご飯を作り続け、家族を支えてきたぼくのやさしさも強さもじんわりと沁みる物語。
この曲を歌う二人を間近で見れたことで曲の印象が変わった。特に鞘師さんの説得力のあるボーカルが心地よい。和田さんの透明感のある声もピッタリで二人の声の相乗効果も聞きどころになっている。 静かな躍動感に満ちたリズムの取り方も目が離せない表現に満ちている。二人のグッド・バイブレーションこそこの曲の価値と言える。 植物や動物にモーツアルトを聞かせると成長や収穫の向上が見られると言われることがあるが、二人の歌声にも同じ効果が期待できるような感覚を覚えた。 「ふるさと」の部分は不要か、二人で歌ってくれたほうが良いとしか言えない。
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