ちょいと気ままにランニング気分を醸し出すために、というか走るために購入。
クッション性が高く、非常に走りやすいですな。 リーボックの足形はあっしにあっているので、その辺もよい感じ。 モコモコ感が強いようなイメージですが… モコモコ感いっぱいですよ。 走るだけではなくて、高めの所から飛び降りたりするときの衝撃もすごく吸収してくれる感じなので、安心安心といった感じですね。
RED BOXの1stアルバム「Circle & The Square 」は、長い間、私の愛聴盤でしたが、RED BOXのその後の消息には関心を持っていませんでした(当時、どのレコード店に行っても彼らの新作は置いてなく、解散したのだろうと思っていました。)。今年の春、YouTubeでこの2ndアルバム「Motive」収録の「Hungry 」を初めて聞いて、その出来の素晴らしさに心打たれました。
「Circle & The Square 」でのRED BOXのユニークさは、なんといっても、サイモン・トゥールソン・クラークとジュリアン・クロスのたった2人だけのグループなのに、どの曲も<すぐに合唱してしまう><気がついたら合唱していた>という点にありました。ロック・バンドがこんなに合唱好きでいいのかしら、と思うくらい、どこまでも壮大に、やたらと景気よく合唱してしまいます。まあ、合唱の一部は女性バックコーラスの合唱だけでなく、多重録音の助けを借りているんですけどね。でも、聴く側からすると、RED BOXではなく、<RED BOX合唱団>と呼びたくなるような、変てこりんな、でも明るく朗らかなロック・バンドでありました。
それで、この「Motive」収録の「Hungry 」ですが、ヴァイオリンらしき美しいイントロに続いて、サイモン・トゥールソン・クラークの懐かしいハスキーなヴォーカルが聞こえてきて、リズミカルなメロディーを歌うのを息継ぎなしで強行し、聴いているこちらもついつい、「息苦しくないの?」と心配になるその頂点で、まるで呼吸困難から解放されたかのように、ふいにのびやかなサビの部分へ転換し、コーラスが入り、また、美しいストリングスを響かせます。「さすが才人トゥールソン・クラーク! 変てこりんだけど、なんと美しい曲だろう」と感嘆してしまいました。
このアルバムには、「Hungry」と比肩しうる名曲はないように思いますが、どの曲もトゥールソン・クラークの腕の冴えがみられる出来で、「Circle & The Square 」と同様、今後も長く聴き続けるつもりです。
がっちりした作りで足にフィットし、大変気に入りました。価格、クオリティ、デザイン、履き心地とも満足できるレベルです。 カーキ色を買ったのですが商品の写真と実物のイメージが大分違ったことです。 通信販売の難点の一つですが、商品を撮影するときには。現物にできるだけ近い色がでるようにもう少し注意してください。 この問題がなければ★5ケです。 でもイメージは違いましたがそれなりに嫌いな色合いではなかったので大切に履きたいと思います。
歩くだけでも、通常とは違う疲れがソールから足に伝わってきます。 走ると、気分よくランニングできるのに気持ちの良い疲れが全身にきます。 軽量なのに膝に優しいので、効率よくトレーニングしたい方にもってこいのシューズです♪
単に外国人による出口王仁三郎の評伝と思うなかれ。大本教の組織者である王仁三郎とその信徒たちの歩みの詳細を記述し考察していくという作業を通して、近代の宗教とは何か、というとてつもなく大きな問題に対する答えを提示しようとした意欲作である。さらに、王仁三郎/大本教による各種の活動を、世界各国の新宗教や霊的な運動との呼応関係を考慮しつつ再評価しようとしており、日本宗教の歴史的研究にグローバルな視点を持ち込むことに、かなり成功している。一冊の本として圧倒的におもしろい。 本書の鍵となるのは、「カリスマ的宗教企業家(charismatic entrepreneur)」という著者の造語で、それは「霊的な権威、宗教的市場の直感的把握、卓越した管理スキル、進んでリスクを取る性向」を持っている稀有な宗教経営者たちのことを指す。簡単に言えばベンチャー企業の社長に似た資質を備えた宗教家ということで、近代日本におけるその最高峰の一人が王仁三郎なのである。彼は同時代の民衆の満たされぬ欲求、たとえば、呪術的な病気治しへのニーズや霊的な世界への憧憬に応える宗教実践を開発した。マスメディアや最先端の映像技術を駆使することで、大本の魅力を全国の大衆社会に広告した。世の関心が国際的な協調主義に向かっているときは諸宗連合やエスペラント語の推進に勤め、転じて愛国主義の風潮が強まればその国粋主義な性格を改めて強調した。こうした王仁三郎の「市場」を読むセンスのよさこそが、大正から昭和初期ごろに大本教を大発展させた根本的な理由であったのだ。 さらに著者は、こうした大本教の実践が、当時の日本の侵略的で物質主義的な帝国主義体制を批判し、人々の伝統的な道徳感情や霊的な意識を固守するための方途をも提供していたと主張する。清く正しく美しい「日本」は、この類まれな神道系新宗教による運動の中でこそ最も鮮烈な輝きを維持していたというわけだ。やや持ち上げ過ぎのような気もするが、しかし何とも魅力的な近代史のイメージをこの本がものの見事に示していることは間違いない。
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