悪徳の名を負って天国の裏階段を昇ったサド侯爵を6人の女性に語らせ、人間性にひそむ不可思議な謎を描いた『サド侯爵夫人』。独裁政権誕生前夜の運命的な数日間を再現し、狂気と権力の構造を浮き彫りにした『わが友ヒットラー』。共に「美」というものが随所に描かれています。悲劇に抗うこと、悲劇を受け入れること、どちらが本質なのでしょうか。「血が流された。そういう晩には、酒や女に慰めを求めずに、ただひたすら血の思い出に浸っていたほうが治りが早いのだよ」
三島由紀夫さんの戯曲2編。「サド侯爵夫人」と「わが友ヒットラー」です。しかし、今読んでも凄いですね。「サド侯爵夫人」は女性のみのドラマ、「わが友ヒットラー」は男性だけのドラマ。そして、女性は女性らしく、男性は男性らしく魅力的に描かれている。(「わが友」の男性陣は少し感傷的かな)作家は往々として心の中に“男”の部分と“女”の部分を持っているそうだがやはり三島由紀夫さんもその分には漏れなかったと思う。「サド侯爵夫人」はあのサド侯爵夫人であるルネの物語。女の愛だけではなく赤裸々な性のドラマも台詞にある。純愛も変態な肉欲のお話も含めているのに、終始上品な美文を感じる。だが、この物語の真の物語は決まりきった道徳感情を持ちながらやや俗物めいた部分もある母親に対する娘の反逆心だ。化け物サド侯爵も妻の反抗心の依り代でしかなかったという意外な結末。「わが友ヒットラー」は文字通り、アドルフ・ヒットラー政権確立の物語。わが友と呼ぶのはアドルフの盟友、突撃隊隊長のエルンスト・レームだ。政権維持のため、政財界の妖怪グルップに追い詰められて、アドルフは人の良い友人エルンストを粛清する。ラスト、化け物がそれ以上の化け物と化したアドルフを見て驚愕するのが皮肉。しかし、サド夫人の女性陣よりもエルンスト・レームの軍隊論の方の語りの方がゾクッとする色気を感じる。女性はとどのつまり現実部分を忘れないが、男は永遠の夢想家。そんなことを三島さんは考えていたのかな?「サド侯爵夫人」は海外公演もしているそうだが「わが友ヒットラー」は舞台化されたことはほとんど無いらしい。と、思ったら今年公演した劇団があったみたいですね。でも海外で映画化した方が面白い・・・と、思ったけど、やはり原作で読むのが一番かもしれない。
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