「惡の華」がブレイク中の著者。この作品には、フェティシズムの断片が見られるので、なるほど、って思う。 ただ、主人公の好奇心と情熱みたいなものは、やっぱり、女子がちんこ見たいということで突っ走っているあたりで、作者には申し訳ないけれど、コメディとしてものすごく笑わせていただいた。 なぜコメディになってしまうかといえば、同じ話を男子を主人公にしてま〇こ見たいということで突っ走ったら、単なる犯罪マンガになってしまうから。作者の想いは、性別を逆転させても通じるものであるべきだったと思う。 ほぼデビュー作ということで、やっぱり、絵がもっと上手だと良かったのにな、とも思う。 でも、カバーがきれいなので、買っちゃった。
佐伯さんの体操着がなぜあんなにも白かったのかは白紙委任状だったからでした。その真新しいキャンバスを目の前にした春日くんに絵筆を握らせたのは仲村さん。その爆発にも似た代償行為が第七話、教室をクソムシの海にすることでした。他の者には奇行に思えるが故に他の者を寄せつけない密接で濃厚な世界。しかし刹那的な代償行為には必ず、たしかな満足感が得られると共に反動として言い知れない喪失感がつきものであるように、除け者にされたという強烈な欲求不満が佐伯さんを突き動かすことになるのです。物語の後半にはその募る想いの正体を、望まざるにせよ一度嫌というほど目の当たりにさせられます。佐伯さんはちゃんと説明してと言う。言葉による整理は絡み合った糸を解きほぐすのに似て、物理的な対象としての境界を縁取ってしまいます。またそれを言い射てしまえるだけの知識が春日くんには備わっていたがために、理論的支柱が立ち実証哲学として言いくるめられてしまう。よくわからないままならあんなに楽しかったことなのに、言葉にされたら途端に矮小化されてしまうように。とりとめのない抽象でも散文でもない春日くんの再現前な説明に佐伯さんは納得しても仲村さんはそのいちいちが許せないのかも知れません。それが行われる舞台は雨。『Vフォー・ヴェンデッタ』にもあるように雨に穿たれることは浄化や意識の沈下を―などと一日中、惡の華のことばかり考えています。…ブツブツブツ
原作と絵が違うという批判が目立ちますが、そもそも「絵が違うから買わない!」という方はここのレビューを見ても意味がないでしょうから、「なんか作画が話題になってるけど、どうなの?」という人に向けてレビューします。
まず、このアニメは「ロトスコープ」という、実写をもとにして描くという手法を用いており、そのため原作の漫画的な絵柄ではなく、非常にリアリティーがあり、冷たく緊張感のある雰囲気が出ています。しかし、その作画の違いに、原作ファンから批判の声もあがっています。
では、アニメ制作者は、このような批判が予想されたであろうにも関わらず、何故この手法を使ったのか。
1-2話のあらすじは「文学少年ぶってる自意識過剰気味の中学生が、好きな子の体操着を盗んでしまう」という内容です。これをアニメ絵で作品とした時、厨二病的な男の子のギャグアニメになってしまうという恐れがあったのではと思われます。 ギャグの視点にならないようにするには、主人公の背徳感や孤独、焦りに視聴者を引き込むような、シリアスさを演出しなければいけない。そのため、毎日変わることのない虚無的な日常風景や、背景や人物といったものを、徹底してリアルに描く必要があったのだと思います。
じゃあ実写ドラマでやれという声もありますが、私はアニメ独自の良さが出ていると感じます。 それは、この手法によって息をのむ緊張感が効果的にあらわれている点です。
普通のアニメでは、見せ場のシーンによく動くアニメーションを持ってくるものですが、このアニメではあまり意味のないシーンほどよく動きます。1話の始まりの生徒の登校風景では、数名の生徒が歩いてくるシーンから始まる。彼らはよく動くものの、普通のアニメで歩く時の意識的な動かし方とは違い、輪郭線が無意識的に動いているようだ。その顔も、遠くの人物は何も描かれてないか、メガネといった記号が描かれているのみです。これは、客観的な風景の一部として人が描かれているように感じられました。
それに対して、1話に仲村が教師をにらみつけるシーンでは、にらみつける顔→眼のアップが2カットの静止画で表現されいたり、他に1話終わりの春日の眼のアップや、2話終盤に仲村が春日に顔を近づけニヤつくシーンは、他のロトスコープによるシーンよりも、かなり精密に描かれてます。これらのシーンは全体を通して異質さが際立ち、登場人物と感覚を共にしたような、時が止まったかのような緊張感が感じらます。
このように、原作をアニメ化する時に、どうすればその原作の本質が表現しきれるかを考えた結果、このような手段を用いることになったのだと思います。 是非、普段アニメを見ない人や、アニメで新しい刺激がほしい人は、一度見てもらいたい作品です。
素晴らしい作品だった。 吃音症でうまく会話ができない志乃。必死で練習した自己紹介の言葉…。 でもやっぱり盛大にどもってしまい、クラスメートに嘲笑される。 他人の反応が気になって仕方ない。「ありがとう」すらうまく言えない。 そんな自分が情けなくて、どんどんふさぎ込んでしまう。
構図・コマ割りなどの演出が秀逸で、表情の描写も抜群に豊かだ。 その全てが志乃の苦しみや葛藤、ひいては魅力をひき立てており、 志乃の気持ちがひしひしと伝わってきて胸が痛くなる。
キャラクターの感情をここまでまっすぐに爆発させることのできる作者の力量に唸らされた。 これはただの吃音がテーマの漫画ではない。 もっと普遍的な…誰もが持ちうる「不自由」とどう対峙していくべきかということを教えてくれる漫画だ。
内容的には原作・アニメ本編より以前のエピソードで、主要な登場人物を掘り下げたドラマ構成となっている。 各ドラマのボリューム的にはやや短い気もするが、内容的には中学生の日常会話ってこんなもんかもしれないと思うところも多々ある。 中二病座談会は出演されているキャストのカムアウトはナカナカ聴き応えがあるし、人によっては「あるある」と感じる話題が結構あるかと。 人によっては本命(?)といえる仲村罵声集は、放送に使用されている音声をまとめたものと言えるが「これ入ってねえのかよ」と思ったセリフも散見されたのが残念。 できれば新譜用に録り下ろしたものがあればよかったのだが……それでも仲村さんのファンにとっては欲しくなるパートだと思う。
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