モーツアルトを「身近に感じる」と言う資格がある人、ということではこの人が一番だろう。生きている天才、バレンボイム。10代ですでにピアノの大家で、以来、ずっと世界中で活躍してきた。指揮者としては毀誉褒貶ある。だが本当は、人々は彼の天才ぶりに「飽きている」のだと思う。モーツアルトだって、子供のころから天才だったから、30代で聴衆に飽きられていた面があったはずだ。バレンボイムはその2倍生きている。
そういうバレンボイムの頭のなかを覗き見させてくれる。本書は、サイードとの対談の延長上にあって、とくに前半は音楽論にかこつけた中東和平に関する政治談議だ。日本人にはちょっと遠い話でもあり、「音楽ではタイミングが重要だが、オスロ和平交渉にはそれが欠けていた」といった文章を読まされては困惑させられるのが普通だろう。
だが、それでも、随所に示される彼の音楽観には引き込まれる。サイードとの対談本や「自伝」と重なる話もあるが、批評家・学者の言葉にはない、名演奏家の言葉として説得力がある。批評家のように無駄に言葉を飾ることはない、極めて実際的な音楽論というか。とくに、量は少ないが、純粋に音楽だけを語った「第二部 変奏曲」は、どのページも面白い。まさにモーツアルト流の軽妙な精神で語られた「モーツアルト」が白眉。
専門的なことはまったく分かりませんが、軽やかな演奏は、聴いていて疲れません。私は、BGのように流して聴いています。値段も安かったのでよかったです。
日本版は廃盤になってしまったようですが、ワーグナーの序曲だけは昨年末に没後10年を記念して発売された4枚組みDVDボックスセットSir Georg Solti: the Maestro (ASIN: B000U05IF2)の一部としてまだ入手可能です。Sir Georg Solti: the Maestroは輸入版ですがリージョンフリーなので日本のDVDプレーヤーやパソコンでも問題なく再生できます。 ショルティのファンの方には是非お勧めです。
大江健三郎の定義集で邦題「音楽と社会」のオリジナルとして紹介されていました。 まず翻訳本を読んで、その中でわかりにくいところをオリジナルで確認するというやりかたで、両方を読みました。一見解決不可能の問題に取組むバレンボイムとサイードが真摯にやりとりするのがとても新鮮でした。生き方を質す良書だと思います。
|