「超高層プロフェッショナル」、原題は“Steel”。つまり、これは大型プロジェクト工事で働く人々のドラマ、と言うと「黒部の太陽」みたいな社会派人間ドラマを想像されるかも知れないが、そうではなくて、これは正真正銘のユニークなB級アクション映画だ。
高層ビル建設中に建設会社社長ジョージ・ケネディが事故死を遂げる。娘のジェニファー・オニールは父の遺志を継ぎ、何とかビルを竣工させようと奔走、彼女はビルの施工管理のプロ中のプロであり、かっての恋人でもあったリー・メジャーズに助けを求める。 ある事件を契機に業界から足を洗い、今はトラック・ドライバーをしているメジャーズは彼女の熱意に折れてカムバックし、かっての仲間たちであったあれくれ男たちを呼び寄せ、あれやこれやでビル建設を妨害する悪徳業者一味と対峙しつつ、ビルを完成させていく、、、。
今作のストーリーはざっとこんな感じである。で、何がユニークかと言えば、工事監督と建設作業員が活躍するアクション映画な処が、である。
アクション映画ってハリウッドお得意のジャンルなんだけど、男の職場でありながら、建設現場が主舞台で建設業に従事する人間たちが主役になった設定ってまるで記憶にない。 むしろ、60年代の東映任侠映画の、義侠心厚いやくざの親分(嵐寛さんの役柄ですな)が堅気になって土建業を立ち上げ組の者たちを纏めていく中で、悪いやくざたちとの抗争に巻き込まれていくお約束の展開と似ていると言えば似ているのだけれど、嵐寛の助っ人になる渡世人の健さんやお竜さんを含め、登場人物たちが殺るか殺られるかのプロであるのに対し、こちらは飽くまで現場監督と建設作業員だからね。 チャールズ・ブロンソンが世界一強いお百姓さんを演じた(でも、実は、彼は元CIAの特殊部隊員であった)リチャード・フライシャーの快作「マジェスティック」みたいだが、“映画的には生えない”素人集団による闘う男の映画として、ごつごつしながらも観る者を鼓舞させるような心意気があった。
メジャーズは、実は高所恐怖症であり、それをひた隠しにしながら、率先垂範して作業を指揮していく。 これは彼の誇りと再生の物語にもなっているのだ。 「おもいでの夏」から8年、建設作業用ヘルメット姿も凛凛しくその美貌衰えないオニールも素敵だ。
メジャーズが集める職人集団に、ロバート・テシア他、強烈なツラ構えの面々。 まるで、大傑作「ロンゲスト・ヤード」でのバート・レイノルズがアメフト・チームを作る為に集めた凶悪な囚人たちを彷彿させるが、確かに、彼らが働けばさぞ作業効率がはかどった事だろう(笑)。
監督はスティーヴ・ガ―ヴァ。アンジー・ディキンソンの血まみれギャング・ママ「ビッグ・バッド・ママ」を撮った人物。 ベルトルッチは「1900年」で農民の映画を撮り、ガーヴァは今作で建設就労者の映画を撮った(笑)。 エリートやインテリ層が主役を張る映画が増える近年だが、これは、“ブルー・カラー”の気概と心意気を誇り高く謳った快作である。
超高層ビルというとものすごくそびえ立つ摩天楼を想像するが、法律的には高さがたかだか60メートル以上を「超高層ビル」と呼ぶのだそうである。 序盤は世界で一番高いビルは?などの興味ある記述から始まるが、ページが進むほどに専門的な領域に入り込んで建築工事の”工程表”だとか現場から出る廃棄物、3R運動など完全にゼネコンの研修資料というような様相を呈してくる。終盤では電気、給排水、空調、防災などのビル管理に至るまでおよそ素人が知らなくてもいいような限界超えの資料が出てくる。さすがに最終章では我々でも気になる超高層マンションについてふれているが、やはりなぜか工法などのほうへ話が進んでいってしまっている。 日本初の高層ビルを建てた鹿島だけのことはあろうが、もうちょっとくだけたというか”使えるネタ探し”的に本書を手に取ると痛い目?に合う。 本書のはじめにで興味がわく好きなところから読んでくれとあるが素人はそれくらいで本書を置いたほうが良さそうだ。 レビュータイトルに偽りなしというと少々大袈裟か。
霞ヶ関ビル建設を賞賛する 産業タイアップ映画なので 鹿島建設と三井不動産、および、関連企業の 宣伝色が強すぎるとの批判はあると思います。
川久保潔のナレーションが説明口調のため 劇映画なのか、産業記録映画なのか 見ていて、よくわからなくなります。
ただ、2時間40分の長丁場を飽きさせません。
36階建てを決定するトップ会談を 俯瞰でとらえるカメラワーク。 圧倒的迫力のビル建設シーンを美しく彩る 伊福部昭の重厚かつ壮麗なサウンド。
本大作の主演”H型鋼”の魅力を引き立てる 豪華配役陣も見ものです。
まるで東宝映画な、池部良と新珠三千代の夫妻。
唐突に出てきて意味不明な、丹波哲郎。
おしゃれに蝶ネクタイをしていながら セリフが全然ない、内田朝雄の設計事務所会長。
天才クレーンオペレーター(田村正和)の恋人を演じる えらくブサイクなヒロイン(これでニューフェイス?)。
中村伸郎の建築学者、 伴淳三郎の出稼ぎ労働者とその妻(利根はる恵)、 北林谷栄のダム建設現場の飯場のおばさん、 菅井一郎の土建屋のオヤジ、 根上淳の少し嫌味な不動産会社役員……
いずれも適材適所な好配役です。
日本編に続く、超高層ビビル第2弾。 いや、ホント、よくまあこんなビルがあったもんだと、マジでビビります。しかも超高層だし。
特に凄いのが香港で、地震が少ないとは聞いているけど、全くないわけでもないのに、大丈夫なんだろうか?ってゆーか、絶対ダメでしょ!というくらい、立錐の余地もないほどに不思議な超高層ビルが立ちまくっているのです。東京タワーより高いビルもいくつかあります。 彼の地に大地震がないことを切に願います。
このシリーズ、今のところ近場で作者が行きやすいところに限定されていますが、いずれドバイやニューヨークなどの超高層ビル群を撮ってきてくれるんだろうか。撮ってきて欲しい。撮ってきてください!
因に、写真集というかカタログ的な内容なので、詳しい説明はありません。 気になるビルを見つけたら、自分でググって調べてみるというのが正しい楽しみ方のようです。
この作品が書かれた時代の世界情勢や人々の認識を把握せずして、2003年的認識からケチを付けるのはあまりフェアではない。グラス自身の現在のオピニオンもこの音楽に流れる世界観、メッセージから明らかにシフトしているはずだし、リスナー側も20年前の世界認識がそのまま呑気に温存されているはずもない。イデオロギーを伴う創作の限界(風化の危惧)を理解した上で冷静に接するべき作品だと思う。更に20年後の状況下で、全く同じ切り口でこの作品を批判する自信を持てるだろうか?数年前なら同じ評価になっただろうか?自律美的、音楽史的に見れば、この作品とグラスの登場は十分意義深いものだったし、イデオロギー的な事を問題にするならば、百歩譲って現在でも「踏み絵」としての価値は十分ある。
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