USのデスコア・バンドの2ndアルバム。 前作と感じが変わりました。デスコア色が強くなりました。不快感・刺激度が減り、聴きやすくなったと思います。
ガテラル・ヴォイスをメインに、時折ピッグ・スクイール(豚の鳴き声風の声)や下水道系低音グロウルを混ぜるヴォーカルは、 前作のようなエグさ・不快感はありませんが、やはりこの声は強力。
前作のような作風が好きだった人には評価は下がるかもしれませんが、ブルータルだし良いアルバムだと思います。 個人的にはブレイク・ダウン/スロー・パートの重苦しさが好き。ブラストは時々使っています。
本当なら、少し想像するだけで、ここに書かれているように、死体(=献体された遺体)が生き生きと活躍している世界が密かに世の中に展開していることは、当然のことに過ぎないのかもしれない。どれほどがんばっても、人間の身体の代わりは人間の身体にしか出来ず、生体を使えないのなら死体を使うしかないからだ。しかし(日本では欧米以上に)死体を見せることは、性的なもの以上に禁忌感が強いので、我々が日常生活でこのような世界を垣間見ることはほぼ確実にないし、普通の神経の持ち主なら「恐れ多さ」や「不謹慎感」も手伝って、知りたいとも思わないのだろう。しかし、少し想像力を働かせるだけで、死体がこのような役割を果たすことでどれほど多くの人々を助けているのかも明らかなのだ(そうは言っても、アメリカには、犯罪被害者の死亡時刻推定のために、実際に様々な状態/場所で遺体を腐敗させる研究所がある、というのはかなり驚くが)。 作者が実際に突撃取材をしたルポ(かなり笑える)と古今東西の(これまたなかなか笑える)引用の数々が絶妙のバランスで、この本を他の「死体についての本」とは一線を画したものにしている。少なくとも、ほとんどの読者にとっての「あなたの知らない世界」が展開されていることだけは、お約束できるだろう(さらには、笑える読書体験でもあるし、非常に教育的でもある、最後に献体の仕方も書いてある)。 翻訳も出ているが、表紙や各章の扉の写真など遊び心は原書の方が数段上。それにしても、日本の遺体事情はいったいどうなっているのだろう?同じ内容の本を出すにしても、はるかに真面目なものになってしまうのではないだろうか。
と、思っていたところで目についたタイトル。 と云うか〈デブ ファイブ〉の文字(読み始めるまで、デブ ファイトだと思っていました。しかも、表紙の主人公、おばちゃんだと思っていました…) そんな、なんとなくな感じで買った本書ですが、これが予想外に面白い。 正直、コージーミステリーって、似たり寄ったりだな〜と思っていましたが、これはなかなか個性的。 飛び抜けて、頭脳明晰でも沈着冷静でもない、人間味(とお肉)が溢れすぎる登場人物。 頼りになるのだかならないのだか分からない主人公。とダイエット仲間たち。 一番のお気に入りは、実は主人公のお父さん。次作では、もう少し絡んで欲しいです。 彼(とデブファイブ)が美しく痩せるまで続くのでしょうか? シリーズ物と云う事で、星4つ。 私もローカーボダイエット、試してみたくなりました。
本書は92年に暗殺された、マフィア対策で名高い二人の検事ジョバンニ・ファルコーネとパオロ・ボルセリーノの死闘を軸に、イタリアにおける伝統組織から新興集団というマフィア勢力の移り変わり、そして闘争を通じた市民の反マフィア気運の盛り上がりを描いたもの。 マフィアといえばイタリアの名物、我々は映画でしか見たことがないが、彼らは実際のイタリア社会において失業者への仕事の差配、公共事業の請負、政治家とのコネクションなど日本のヤクザは比較にならない影響力を有している。しかも本来民衆の保護者であったある種の牧歌性をも失い、利権の搾取と凄まじい暴力傾向を強めているのは本書の通りである。本書の主人公ふたりが車を爆破され、機関銃で殺害された事実は映画を超えたマフィアの凶暴性を如実に物語る。本書は94年のイタリア新政権成立で終わっているが、アンドレオッチ首相に代表される政治とマフィアの腐敗関係などは容易に解決される見込みはないと思われる。最後に、訳者がマフィア問題の専門家でないのは「あとがき」の底の浅さなどからやや残念に思った。
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