最近、館野さんをテレビで見ました。左手で、ブリッジ、スクリャービンを美しく演奏されていました。 カスキの「激流」「夜の海辺にて」を偶然知って、楽譜と館野さん自身の演奏のCDを購入しました。館野さんが右半身麻痺と知ったのはその直後でした。カスキこの作品集はバラエティにとんでいて、激流のように激しいものもあれば、1番の「泉のほとりの妖精たち」は本当に澄んだ美しい曲ですし「山の小人のセレナーデ」ははずむ早いテンポで面白く楽しいし、「古い時計台」は重々しく低音が鳴り響きます。「夜の海辺にて」は日本の演歌にも似ていて親しみやすいです。「バラの花園の乙女」はいかにもおとぎの国。1曲1曲は短いですが、盛りだくさんという感じです。メロディラインもはっきりしていてハーモニーも美しいしほとんどの曲が弾きやすいと思います。CDの館野さんの演奏にも魅了され、他の楽譜やCDも買いあさってしまい、コンサートで生で聞きたいと思いましたがこれらの曲は演奏不可能なってしまったようです。が、左手でこれからも演奏活動を続けていかれるそうなので機会があれば行きたいと思っています。とにかく館野泉というピアニストと出会うきっかけになったこの曲集は私の宝物です。
脳梗塞で右手の自由を失った「左手のピアニスト」舘野泉のエッセイ。
この人の音楽は、左手だから素晴らしいのではない。 五本の指で弾こうが、十本で弾こうが、二十本で弾こうが、鼻で弾こうが、そんなことはどうでもいいのだ。 普通の人ではできないことをなしとげた苦労も、まるで三人が弾いているかのような素晴らしい調べがただたった一つの手から紡ぎだされていることも、もちろん賞賛に値するが、何よりも素晴らしいのはこの人の音楽への情熱、だろう。
もし万が一この人がまた左手を失い、言葉も失い、表現するという手段を一切奪われたとしても、彼が音楽をかつてこのように思っていたというその一点のみで、彼は永遠の音楽家たりうる。
調性があってない気がしたので、移調して・・・
それと曲の流れも、ちとつまらなく(だんだん盛り上がってすぐ終わる。)
曲の流れを変えてみたりーーーー、、、、、、、
と遊べるのは吉松さんのアレンジがよかったからですが
せめて、ほんの一音変えたくなる程度にして!!というのが
楽譜を待ち望んでるものの気持ちです☆
それと、有名な曲であればなおさら、主音を拾ってお直した編曲じゃなくて
原曲のパラレルワールドのような、編曲者の音楽をたっぷり盛り込んだ
編曲(変奏曲?)が希望です♪
才能のあるピアニストが、病に倒れ再起。それだけならば、注目はされない。左手から生み出された音楽は、両腕のピアニストよりも遙かに多くのことを語る。ミロのヴィーナスが、あれでよかったように、小川国夫ではないけれど、これで良かったのだと納得できる。もちろん、大河ドラマ「平清盛」のテーマはそのドラマの印象に左右されがちだが、この演奏はそれを嗤うかのように超えている。レベルは遙かに上だ。 どれだけ鍛錬を重ねられたことだろう。並の精神世界では辿り着くことはできなかったかと推察される。命ある音楽家の心意気に跪きたくなる逸品だ。
ピアニスト館野さんの存在を知ったのはNHK・TVを通してでした。その中で館野さんが「左手のピアニストというのではなく、左手のみの演奏だからこそ表現できる演奏がある・・・」ということを淡々と語っておられたのが印象強く心に残ってます。私の目から鱗が落ちた瞬間でもありました。私事で恐縮ですが若い頃からの趣味でクラシックギターをカジッッテきたこともありバッハ「シャコンヌ」は特に関心がありましたが、館野さんのピアノによる「シャコンヌ」を聴いてた瞬間、こんなに味わい深く、訴えてくるシャコンヌは初めてでした。また、アベ・マリア(カッシーニ作曲)はとにかく暖かく、優しく語りかけてくるような演奏に癒されています。仕事柄(牧師)結婚式場の司式もしていますが、その度にこのカッシーニ作曲のアベ・マリアを聞きます。しかし、いわゆる綺麗に人様に聞かせる演奏とか、演奏テクニックが云々・・・という世界とは異なる、素晴らしい演奏です。個人的な感想ですが、乾いた砂に水がしみ込むように、私の心に入ってきた館野さんのアベ・マリアでした。HQCDによるディスクでの発売も「大正解」であったと書き添えておきます。
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