とっても衝撃的な映画でした。 すごく「エネルギー」を感じました。 特典として,「コメント」や「未公開シーン」そして「フォト」があったりと豪華な内容で、安さには驚き! どちらかといえば,本編よりも、未公開シーンの方が非常に過激なシーン満載でした。 そして、コメントもジェームズさんや監督など、様々なプロ同士がそれぞれコメントを残している非常に貴重なものだと想います。
それは、ヤン・ティルセンの新譜ということで気になってはいたけれどまだ手にしていない時。私は某テレビ番組のBGMにくぎ付けになりました。それは、一度も聴いたことのない曲で、しかも“楽器の演奏だけなのに”、確かにヤン・ティルセンの曲だと直感したのです。そしてすぐに買い求め、見事に的中してしまいました。 “この音は彼でしかあり得ない!”という音なのです…。 『アメリ』で有名になったヤン・ティルセンですが、あの面白く軽妙なアコーディオンの世界とは別に、彼にはとても深遠な感性があります。私はその深遠な感性の方こそ、彼の醍醐味、世界観だと思います。そしてこの作品は、その「深遠」な部分を十二分に見せてくれます。 ヤン・ティルセンは楽器を多様に操り、「一人でオーケストラを演じる男」とも称された人です。この作品の骨はピアノです。ピアノが繊細に大胆に流れてゆく中、その低音に混じりコントラバスが胸の底に響き、突然破裂音のようなトランペットが静寂を切り裂きます。煽情されるようなはっとする音です。それからこもったオーボエやクラリネット等の管楽器も、霧がかったドイツ的なムードを演出します。 でも決して暗くはありません。言うなれば、「一面の霧か靄に一条の光が射す…」といった感じです。悔い改まりたくなるような、心が洗浄されるような音楽です。 最近方々の番組のBGMで聴かれるヤン・ティルセンですが、これは、ステレオの前かヘッドホンで、聴き入るべき音楽だと思います!ただのサントラでは終わりませんよ!
本国ドイツで2003年に公開され、600万人を超える観客を動員した映画の原作本。主人公アレクサンダー・ケルナーの父が単独で西ドイツに亡命して以来、母クリスティアーネはその反動で東ドイツ社会主義の模範生となっていた。1989年反社会主義デモに参加した息子(21歳)を見て、母は心臓発作を起こし、彼女が8ヶ月の昏睡状態から覚めたとき、すでにベルリンの壁は崩壊していた。「今度ショックを与えたら命取りになる」という医者の言葉を聞き、アレクサンダーは母を退院させ、自宅を「この国に残された社会主義の最後の砦」に変え、姉アリアネ一家・恋人ララ(ロシア人)・友人デニス(西ドイツ人)たちと共に、母を社会の激動から隔離するための無謀な試みに苦心する。彼らの努力を通じて、逆説的に東ドイツ市民の日常生活の細部にわたる資本主義の急激な浸透があぶり出される。また、恋愛や友人関係を通じて、下からの国境の溶解も表現されている。ベルリンの壁の崩壊から西ドイツによる東ドイツ併合に至る1年を舞台に、家族の絆と友情を描いた感動作。予備知識なしでも読める。
別の世界へと運んで,旅情を感じさせる,そんな映画の力が発揮されていて,映像も音楽も素敵だった。ユーモアとポエジーに豊富で,高尚で難しい作品のみを好む,という人でなければ,多くの映画好きが楽しめそうだ。 でも見終わったあと,なんともいえない複雑な気持ちになった。少しも悪い気持ちではない。ただ,なんだか考えさせられてしまったのだ。 映画は,東欧の街の魅力,さらには社会主義や国家主義の魅力を,とても上手に映し出してみせる。そして,うっかりこんな国にすみたくなる気持ち,人が国家主義者になる気持ちがわかりそうになったころに,その負の姿をありありと突きつける。そして,やっぱり自由市場体制はいいなとあらためて思いなおす段になって,他人と競争したり,よりいっそう金や物や情報や気晴らしにあふれた生活を追い求めることを心底望んでいるのか,いまの便利で快適な暮らしを失っても,分かち合い,受け入れ合い,連帯しあって,愛のある交わりと誠実な労働とに生きることを選びたい人はいないのかと,静かにたずねかけてくる。 さらに,そうした疑問に絡めて,夢を見たり,思想をもち考えたり信じたりする人間にとって,なにをもって現実というのか,夢や信仰生きることは現実に生きているのかいないのか,とクエスチョンマークを残していくのだ。 作者にとって,マルクス-レーニン主義の崩壊以降,あらたに歩み始めたヨーロッパは,ただ資本制にのりかえるものではない。きっと無限にたどりつくことのできない,ありうべき理想の国や生き方を模索しながら,今日も普請中なのである。主人公の青年,ソ連から来た恋人,妹夫婦,そして新体制にとまどう老人たち,この映画の登場人物たちはみな,同時代を生きる仲間なのだと思った。
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