淡島千景の繪嶋に先代海老蔵の生島。そして高峰三枝子の月光院、三宅邦子の天英院、等々といった仲々の名優が揃っています。 さりながら、舟橋聖一の原作と較べると、随分と風情のない映像作品だと言えましょう。 とりわけ、「でも」といった現代弁が台詞の中に出て来たりすると、折角の歴史劇が台無しになってしまいます。 また、脚色・演出が拙い為、仇役の宮路のみ目立ってしまい、肝心の大奥大年寄り繪嶋局の人物像がかすんでしまっている点も残念至極。筋の運びも歌舞伎の名場面を多く見せようとしたせいで、随分とぎこちない出来映えになってしまって居ます。
勧進帳ゆかりの醍醐寺における「勧進帳」は劇場と違った雰囲気で、また、團十郎/海老蔵との共演は大変良かったです。醍醐寺の紹介、團十郎のインタビューのDVDが付いていて得したと思いました。
戦争一色の当時の日本にあって野球を愛し投手として魔球の完成に夢をみていた青年。 しかし時代の流れに逆らえず、疑問を感じながらも海軍に志願していく。さらには特殊兵器と称する自爆兵器の特攻部隊に志願してしまう。そんな主人公の心の葛藤の描写がいまいちで、悲壮感があまり感じられない演出。 また、他の最近の太平洋戦争ものにもいえる事ですが、国内の場面にしても潜水艦内の場面にしても当時の切迫した情勢が感じられません。
野球にかける夢や、恋人や家族を思う気持ちがありながら一度出撃したら、たとえどんな死に方でも死にさえすれば軍神と崇められ、機械の故障だとしても生きて帰れば臆病者、卑怯者と蔑まれ家族までもが差別をうける。そんな時代に生き、どちらにしても死にゆく運命が決まってしまった、まさに「出口のない海」に閉じ込められた隊員たちの心情とはどんなものだったのでしょうか。
実際の戦争末期にはこの「回天」をはじめさまざまな特攻兵器がつくられ6千数百名が戦死しているそうですが、こんな自殺戦法を立案し指揮した命令する側の将官では敗戦後、責任をとって自刃したり自ら特攻出撃した数名の方を除いて、ほとんどが責任を逃れている事。また、この無謀な作戦の戦果は少なく、主力である敵戦艦や空母への戦果はほとんど無かったという事実。このような人道を無視し人材の浪費でしかない作戦を実行した当時の軍部を糾弾し、無念のうちに散っていった人たちのことを忘れてはいけない、といったメッセージをもっと強く伝えても良かったと思います。
長年、薄手のカード・免許証入れを探索、ようやくめぐりあえました。後ろポケットに入れてもカサバラズ大満足しています。
海老蔵さんの美しさ、華やかさは 作ろうと思って作れるものではありません 故に、僻みや嫉みをもった人間も出てくるのでしょうね。 そんな人たちに負けてしまう華やかさではございません。 歌舞伎を馬鹿にしているのは 心ない書き込みや報道のみ、本当の海老蔵、歌舞伎を この一冊で知っていただきたいですね。 著者を馬鹿にするようなレビューはやめて頂きたいです。
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