左翼運動と中国文学に心惹かれながら、日中戦争に従軍・転向した著者が20代後半で書き出したとされる代表的随筆。「司馬遷は生き恥さらした男である。」という書き出しから始まるこの力作は、そのまま自分の姿を司馬遷に写したものと読むのが一般的だ。
また、盟友・竹内好が本書解説で指摘しているように、時局に恵まれずとも「世界」を書ききった司馬遷の姿を描くことで、戦時中の知識人批判を行おうとしたとも読めるだろう。
もはや、そのような文学史的意味を外してこの本を読むことは難しいのだが、皇帝や英雄、その周りの知識人といった「政治的人間」や名も無き暗殺者達などが複数の惑星系を作り出す宇宙的なシンフォニーとして司馬遷は「史記の世界」を描いた、とする説はダイナミックで、今読んでも面白い。20代でこんな本を書いたという博識ぶりには驚かざるを得ない。
なお、著者は浄土宗の家に生まれ育った関係で、三島由紀夫の葬式では僧形で弔辞を述べている。この本について三島は日記「裸体と衣裳」の中で「小説家としての氏も、最後には、この最初の認識、「腐刑をうけた男」の認識にもどらざるをえぬのではないか。」と指摘している。僕は戦中・戦後の日中関係を背負って武田泰淳は文学活動を行ったと思っているが、三島と同様の認識である。そんな武田の文学的スタート地点が、このような苦渋に満ちた文章だというのは、今の時代の両国関係を鑑みると、何か象徴的な気がしてならない。
その名を知らぬ人はいないであろう歴史文学の大著。三国志がメジャーな一方、案外史記を呼んだ人は少ないのでは?歴史的教養という意味があることを差し引いても十分読む価値がある本。中国の漢の途中までの歴史を書いた本だが、見所は個人的には春秋戦国時代の各国外交官の舌戦である。一人の王を説得するために様々な外交官が国家の首都を訪ね、論戦と謀略を戦い抜き、最後は宰相になる。国王は必ずしも完璧な人間ではない。女好きだったり名誉欲が強かったり、猜疑心が強かったりする。彼らを説得するためには論理が通っているだけでなく、その論理が明快にわかるものであり、どんなに欲に目が曇った君主でもその必要性を悟らせるような能力が必要である。外交官たちは時には手痛い失敗もするが、それをばねにして何度でも説得を試みる。当時の世界において立身出世というものにどれほどの価値が置かれていたのかはわからないが、その執念には驚かされる。現代でも一介の浪人が最高の地位まで上り詰める物語は大きな魅力にあふれているが、史記はそのような話の宝庫である。かつて、元大本営参謀で伊藤忠商事の企業参謀であった瀬島龍三が「人間を知りたいなら史記をよめ」といったと聞くが、読み直すたびにそういわれるにふさわしいだけの数の人間がこの史記の時代のなかで生きてきたことを思い知らされる。歴史における自分の役割というものが信じられる、「やってやるぜ!」という気持ちに慣れる名著。
中国に現在まで伝わるお話ですので、内容に文句の付け所はありません。 中国の歴史に興味のある人には必読書だと思います。 内容も理解し易く時代を追って書かれていますので、非常に理解がし易いです。 また、全巻を通して中国の有名な人物や戦いの話しが網羅されていて、現在の人生における教科書になるのではないかと思います。死ぬ前に一度は全巻を読んでおくべきでしょう。
10代や20代の内にこれを読んでいたら、私の人生も少し変わっていたかも。 もっと早く読めば良かったと思われる本です。 若い人は悩まず、直ぐに買って全巻を通して読むべきでしょう。
中国のこの時代を背景にしたものが好きで、いろいろ揃えました、まだ見ていませんが、これから楽しみです。
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