人類の歴史がいくら積み重ねられても、科学の発展がいくら進んでも、人のアイデンティティを指し示すもっとも身近な道具は「顔」である。免許書などの身分証明書の写真。お尻の写真でOKです、というのを僕は聞いたことがない。顔こそがその人の人格を、人生を、人柄を指し示すもっともわかりやすい道具であることは、未だ変わりない。 しかしながら残念なことに、人の顔にも美醜という価値判断がする。そして特に女性においては、その美醜のいかんによって、人生の満足度までが増減するというのは言うまでもない。本書は、そんな美人とブスという生まれたときにすでに決まっている出来レースを、いかにして生き抜くかを考える7章。
1章の“「美人論&ブス論」の書き手の顔”など、着眼点は非常によいと思うのだが、どうもこの人の分析はよくわからない。当たり障りのない評論を載っけては、さっさと次の対象に行ってしまう。主体性がないというのか、どうもこの執筆者の言いたいことが伝わってこない。エッセイやこういう本では、作家独特のトゲで対象を多少やりすぎなぐらいズキズキつついてもらった方が面白くなるのだが、それがないのだ。おそらくそのトゲこそが「作者の味」なのだと思う。
そろそろ息切れがしてきたのか、後半に行くほど筆者自身のエピソードの断片と化して行く。特に6章は蛇足だった。筆者がネットの出会い系にはまった時期に会った男たちのことが書かれているのだが(ちなみに字義通り会っただけで肉体関係はなかったそう)、その叙述がすかすか。同じネットの出会い系について書かれたものなら、ドット・コム・ラヴァーズ―ネットで出会うアメリカの女と男 (中公新書)の方がはるかに詳細であるし、本のテーマからも離れすぎている。この章は正直いらないだろうと思った。
しかし見るべきところがないわけではない。5章などが言っていることは当たっていて、ブスはブスでもいわゆるブスフェチ、ブス線という男は存在するし、自分自身のフェチを知るのと同時に、自分がどのようなフェチの男に対象にされるのかを自己分析をしておけば、これほど効率的なことはない。 バントだけで世界一になった元中日の川相みたいなもんで、どこか磨けば誰かが食いついてくる、と言うこともあり得る。
著者の運営するサイトを良く知る自分として、この本の出版はとても嬉しく、すぐに買ってしまった。ほぼ期待通りの内容だと自分は思う。非科学的な事象を検証する事が、いかに難しいかを改めで痛感した。検証実験は引き続き行われているので、続編の出版に期待したい。
私も著者と同じ病気ですが、アクロメガリーは稀少病のため情報も少なく、一般の人向けに平易に書かれた本は見当たりませんので、まずその意味で貴重な本だと思います。闘病記というと、どうしても暗い内容を想像してしまいますが、表紙の写真での笑顔のように、ここには前向きに生きる著者の明るいオーラが溢れていて、読んでいると元気になってくる、不思議な本です。同病の方は勿論、そうでない方にもお勧めです。
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