既に風化が始まっている福島第一原発事故。当時某巨大匿名掲示板に張り付いていたことを今でも覚えています。ある時、「文部科学省の移動モニタが、原発から北西の山の方で高線量を記録した」という書き込みがあり、スレが大騒ぎになりました。「どうしてそんな所に出るんだ」「間違いじゃないのか」「誰かが危ないものを不法投棄していたんじゃないか」。この時、飯舘では44μSv/hを超える線量率を実測していたのですね。やがて水道水の汚染が報道され、京大の今中さんたちの報告があり、群大の早川さんたちの地図に赤い舌のような模様が描かれ、汚染は現実のものだと判ったのです。そうなると、掲示板上でも「これはまずい、村長はさっさと村民を避難させろ」という書き込みが溢れました。
この本は、「…は負けない」という題名や「『いつかは戻ってきたい』そのための長いたたかいが始まった」という帯の煽り(「たたかい」がひらがななのがミソ)から受ける「サヨクのアジびら」的印象とは裏腹に、「さっさと避難する」というのがどういうことかを、内側から冷静に描いたルポルタージュです。
第一章では、東日本大震災から全村避難までの経過を時系列で追い、第二章では村の行政機関等の対応を紹介しています。ここまでは村役場側からの記述が目立ちます。
続く第三章は、原発事故前の地域おこし運動の紹介。これは平和な時代の間奏曲となっているだけではなく、後の方で扱われるさまざまなグループ活動の紹介をかねています。このような地域おこし運動の成果のほとんどが放射性セシウムのために失われてしまったかと思うと切ないものがあります。
第四章から第六章がこの本のキモの部分です。著者は当地での地域おこし運動を20年来調査してきた研究者でして、そこで得た村民とのつながりを武器に、個々様々な立場からの様々な意見や願いを聞き取っています。放射線被曝と生活の兼ね合い(「いのちと健康を守る」)、慣れ親しみ汗を流してきた土や牛との別れ(「なりわいを守りたい」)、村の復興とは何なのか(「一人ひとりの復興へ」)。村長側の「できるだけ実体としての村を残したい」という意見から、「元の土地に帰ることは難しいだろう。避難先に新飯舘村を作ってはどうか」という意見まで、総論にまとめきれない各論の束として、淡々とそれらを記載して行きます。原発事故を「終わったこと」にする前に、一読する価値のある本です。
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原っぱの十字路で、赤いムクゲの花が咲いていた。でかいムクゲだった。30センチはあるのではないか。 車をおりてカメラを構えた。排気ガスもないからだろう。怖くなるほど空が青い。ムクゲの赤と空の青が、ファインダーを半分ずつに割った。 エンジンの音が近づき、背後で止まった。振り向くと、白い軽トラックの運転席から、おじいさんがじっとこちらを見ていた。ベージュの作業服に作業帽をかぶっている。赤銅色に日焼けした顔がガラス越しに見えた。 私は一礼して軽トラックに歩み寄った。無人になった村で、村人が警戒のために「見回り隊」を作って巡回している。怪しまれたのだろうと思った。 私は名刺を出し、説明した。自分はフリーの記者です。原発災害の被害を伝えるために、村で写真を撮っています。 黙っていたおじいさんが小さな声でぼそっと言った。 「ちがう」 −−何が、ですか? 「それ」 おじいさんは私の脇の下を指差した。一眼レフがぶら下がっている。 「それで、そのカメラで」 のど骨が動いて、息を絞り出すように言葉が出てきた。 「そのカメラで伝えてほしい。この村のことを」 私はごくんと息をのんだ。言葉が出なくなった。 「ここは土地が汚染されてしまった。ここで何が起きたのか伝えてほしい。外の人たちに」 彼は雑草の原っぱになった田んぼを見た。そこは彼が毎年慈しみながら手入れをしてきた田んぼなのかもしれない。 一体何年くらい、この人はその土とともに生きてきたのだろう。この村の土地は、この人にとって自分の子どものようなものだろう。いや人生そのものかもしれない。時間、季節、年齢、人生すべての記憶は土地とともにあるはずだ。 その土地が放射能で汚れている。むごたらしく荒れ果てている。何もできないまま、去る。それは瀕死で血を流すわが子に何もできない親のようなものではないか。 おじいさんは目を落とした。 「ここは見た目には何一つ変わらん。何も変わらん。だから去るのがつらい。よけいにつらいんだ」 トラックが走り去ったあとも、私は十字路に立ち尽くしていた。しばらく動けなかった。 爆弾が落とされたわけではない。虐殺された死体が転がっているわけではない。だが、私が踏みしめている大地には、それと同じくらい惨たらしいことが起きていた。
(本書38〜47ページより) ---------------
これが、原発事故後の飯館村の現実である。著者は、この本に収められた写真と文章によって、この村人の願ひに答えた。この老人の思ひを、そして、著者の怒りと悲しみを、全ての日本人は共有するべきである。この本が、多くの外国語に訳され、全世界で読まれる事を願ふ。
(西岡昌紀・内科医/東日本大震災と福島第一原発事故から2年目の日に)
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自分も飯舘村村民だが飯舘村村民として経験したことが全て同意出来る。自分も体験した事実が率直に書いてある。 よくこのような本を書いてくれたと思う。飯舘村村長の本も読んだがデタラメばかりで頭に気来て、ぶん投げた。 長谷川さんは酪農家として生きていくために必要なもの全てを原発事故による汚染で奪われ、前田地区の行政区長として地域のため対策に追われ本当に大変だったと思う。 作者は全国各地で要請があれば講演している。被害者の苦しみは言葉では伝えきれるものではない。実際体験した人間でなければ分からない苦しみがある。 是非、この本を読んでテレビや新聞、雑誌で知っていた情報と比べながら読んでほしい。自分も村民の一人としてこの本に書かれている事が真実である事は間違いないと言いきれます。 この本に書かれている情報隠蔽や加害者側の一方的な押し付けが現在まで続いている事を大勢の人に知ってほしいと思います。
Geiger counter(ガイガーカウンター) RD1503 ロシア製
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