信州の過疎の村を舞台に繰り広げられた作品で、原作を忠実に再現しながらも、信州の四季の美しさを見事に映像化している所がこの作品の醍醐味かもしれません。
日本の古くから伝わる四季折々の風景と行事、それに照らし合わせるかのように主人公の夫婦をはじめとする登場人物おのおのの人生。全てが少し儚いものの、それを上回る美しさで満ちていると思います。
個人的には原作には登場しなかった「先生」の生き様がとても素敵で、潔かったと思います。
映像化された作品は原作を下回る、という通説はこの作品には当てはまらない、少なくとも原作に劣る部分は視覚効果や演出で十二分に補っているように感じられます。
あと、最近やっと世間での認識が深まりつつある「パニック障害」という精神疾患についても学んで頂けると思います。同じ疾患に悩まされている方は多分皆さんの想像を超えて多数存在しています。
その方々に対する偏見などを無くすための教本としても評価できるのではないでしょうか。
時代は古いものなのですが、読んでてなるほどなと感心する部分が多くとても面白いです。
すごく美しい画面(1シーン1シーンが芸術写真、石仏も美しい) 美しい物語と画面とにぴったり合った心に沁み入るような音楽。 そして、何よりも、90歳を超えるという北林谷栄さんの存在感。 「お盆になると亡くなった人たちが阿弥陀堂にたくさんやって来ます。 迎え火を焚いてお迎えし、暗くなるまで話をします。 話しているうちに、自分がこの世の者なのか、 あの世の者なのか分からなくなります。 もう少し若かった頃はこんなことはなかったのです。 怖くはありません、 夢のようでこのまま醒めなければいいと思ったりします。」 などという言葉は美しくさえ感じられました。
会話の多い小説に慣れていると会話のほとんどないこの作品がずいぶん寡黙に感じられます。明晰で鋭い文章、精緻な情景描写、時折挟まれる医学解説。いずれもが熟達した医師の手になる小説であることを示しています。本編の主人公は、還暦を迎えた医師・江原陽子。未婚で産んだ息子はすでに成人し、親元を離れて働いています。
この作品には江原陽子の早春のある1日がつぶさに記されています。陽子の下で研修医であった桑原芳明から僻地の診療所の医師・黒田久彦の病歴要約が送られてきました。黒田はかつて彼女と同期の研修医でしたが、彼から多くを学んだことを陽子はいまも感謝しています。
病歴要約には、山村の貧しい母子家庭で育ち、苦学して僻地の医師をめざした黒田の半生が記されていました。彼は自分の使命と信じて僻地医療に赴きますが、妻子には去られ、農村の住民から些細な誤解から疎まれて自分の居場所を失くしつつありました。そしていま急性胆嚢炎に罹っています。その病歴要約を読みながら陽子は自らの半生を振り返るのでした。冷たい母からの逃避、アメリカへ渡って医師として成功したかつての恋人、看護士になった息子、黒田から教わったこと、患者に対する自分の姿勢…。不器用ながら自分の思いに自然に生きてきた陽子は、黒田の病歴要約から読み取れた彼の生き方に自分と共通する思いを感じるのでした。
最新の医療機器がもたらすデータに依存するのではなく、患者の生育歴を重視して診断すべきだ。寿命が尽きかけている患者には治療を控えて自然死を待つのがよい。そうした考えの黒田には住民や患者の家族からの反発がありました。医療の格差、老人問題、終末医療のありかた…。いまの日本の医療をめぐるいくつもの課題が顔を出し、作品に厚みを与えています。
望むものを手に入れても、そうでなくても、人生はそうは変わらないではないだろうか。目の前の課題にちゃんと向き合って、信じることに従って生きるしかないのではないか。完璧なものはないが起こってしまった事態に真摯に対処する。それがやがておとずれる老いと死に対する心構えではないか。この小説は、そんなことをじっくりと考えさせてくれます。作者のこれまでの生き方がそのまま作品として結実しているのでしょう。それが静かな感動を呼び起こします。
主人公の江原陽子がもし実在の人物ならば、ぜひお会いしたい。彼女とはいい友人になれそうに思ったからですが、小説を読んで私がこう感じるのは珍しいことです。
オープニングの音楽から、もうすでに心が洗われました。 寺尾聡の陽だまりのようなやさしさが、見ている私達までやさしい気持ちにさせてくれます。 北林谷栄さんはいいですね~。「となりのトトロ」のおばあちゃんを思わせる役どころで、思わず微笑みたくなります。 自然、優しさ、感謝の心・・・思い出しました。 「癒し」という言葉が安売りされている今、本当の癒し ここにあり!という映画です。
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