「英雄」や「LOVERS」などでチャン・イーモウ監督を知ってまだこの映画を観ていない方、この映画は必見です。 私はこの映画こそがチャン・イーモウ監督の最高傑作だと思っています。とにかく、まずこのパッケージの写真にもある赤を基調とした圧倒的な映像の美しさに目を奪われます。そして、後はドラマチックなストーリー展開に引き込まれていきます。本当に素晴らしい、映画らしい映画です。私はこの映画を観て黒澤明監督の映画をはじめて見たとき以来の衝撃を受けました。黒澤さんは「世界の黒澤」と言われました。チャン・イーモウ監督は黒澤監督に比肩する稀有な才能を持った存在だと思います。
チャン・イーモウ監督のデヴュー作。第二次大戦下の中国で、とにかく日本軍が徹底的に「日本鬼子」となってます。 この映画を観ると、ステレオタイプな歴史観と、欧米が望むアジア感の枠組みの限界を感じさせる。 この映画がベルリンで金熊賞を受賞したということ事態が、欧米の人はアジア映画をアジアの枠内のままでいてほしいと無意識的に権力的に考えてしまっていると思う。 ちなみに中国人はこの映画が結構好きらしい。
極刑は中国の文化の一つです。数々の残虐な刑を創造してきた中国の独創力には眼を見張るものがあります。本書は、その「処刑」というものをメインに据え、日本の常識では考えられない奇想の世界を描いています。読み応えバツグン。中国に慣れ親しんでいる者も、そうでない者も充分に楽しめます。中国の恐れを知らぬ文化の力に圧倒されて下さい。
映画は、時代の鏡である。社会主義国の場合、例えば、1950年代後半のポーランド映画がそうであったが、自由化、民主化が進むと、それまで、口に出して言へなかった民衆の感情を、映画監督が映画によって代弁し、映画が、時代のスポークスマンを演じると言ふ事が、しばしば有った。1980年代の中国映画もそうで、この時代、もちろん、まだまだ制約は有ったが、中国で、或る程度の自由化が進んだ結果、文化大革命の時代を批判的に描く映画が登場したのは、1950年代のポーランド映画と良く似た現象であった。
『古井戸』もその一つである。水不足に苦しむ農村に、文化大革命の犠牲者である男性が、井戸を掘る為にやって来る。しかし、どれだけ努力し、犠牲を払っても、水は出ない。それが、映画の最後のラストタイトルで、主人公の勝利が、文字で語られる。−−いい映画である。文化大革命の惨禍を取り上げて居るが、その事以上に、主人公が、過去よりも、未来に心を置いて生きる姿に、深い感動を与えられた。−−この主人公の姿に、1980年代に、日本で出会った中国人医師達の姿が重なってしまふ。−−中国政府の為に、日本と中国の関係は悪化して居るが、この映画の主人公の様な中国人と、そして、この様な映画を作った中国人と手を携えて、未来を築きたいと思はずには居られない。
『紅いコーリャン』は、『古井戸』ほどの名作ではないが、映画としての面白さは立派である。−−この映画(『紅いコーリャン』)の終わり近くで描かれる日本軍の残虐行為が、史実を反映して居るかどうか疑問であるが、その事だけでこの映画を否定する積もりは無い。−−こちら(『紅いコーリャン』)も御覧になる事をお勧めする。
(西岡昌紀・内科医)
ノーベル賞受賞の中国人作家はどんなものを書いているのか?という興味で読んだのだが、実に面白かった。
この現代文庫版は“赤い高粱一族”全5編のうち2編のみ収録されているようで、“わたし”の祖父と父の抗日ゲリラとしての一戦および祖母が酒造家の女主人として活躍する伝奇ともいえる話が主なモチーフである。
山東省の田舎を舞台とするこの小説を少し読むと、すぐにそこに高粱に囲まれたその大地の持つ魔力的な力と登場人物からほとばしるように出てくる圧倒的なエネルギーを感じる。
そうだ!一番近いのはガルシア・マルケスだ!と思ったら、解説によると莫言はマルケスを読み大いに触発されたらしい。
自然や人物の描写には熱気がこもり、あくまで骨太である。そして山東省の田舎の大地とそこに生活する人への限りない執着と愛情を見い出す。
私事だが、10年ほど前、数年にわたり仕事で中国に30数回出張し、田舎も回る機会があったのだが、本書を読むとそこで会った人達、運転手や商店主等、と片言を交わした時に感じた印象がまざまざと浮かんできた。北京や上海の都会人あるいは村上春樹を読むような若い世代とは違う、“原中国人”とでもいうような世界がそこにはあるのだ。
莫言は現代中国における検閲に必ずしも反対しないということで同業人から批判を受けたこともあると側聞し、この小説にもプロ共産党(体制)的なフレーズもあるが、私としては莫言と彼が描く人物の中に政治的な次元を超えた、もっと大きく、したたかで、エネルギーにあふれた人間を感じる。
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