『究極の状態』のなかで体感する、生きている実感。 カシノで体感する『究極の状態』は、 まさに『脳内リゾート』と呼ぶにふさわしい瞬間だ。 本気で生きるために必要な、夢中になれる何か? カシノには、クレイジーになれる瞬間が在る。 普段は真面目で、よい子なチューサン階級なオイラも、 カシノではクレイジー?な博徒に様変わり。 今日もまた、究極の『痺り』を求めて 「テンガァ~!」
ギャンブルが如何に破滅的か、よく分りました。 手を出してはダメですね。
冒頭にフランツ・ファノンという方の「無知というのは知識がないことではない。疑問を発せられない状態を指す」という言葉を挙げ、日本人がマスメディアの情報に疑問を示さないこと、政府はマスメディアを操作していることを、自らを「チューサン階級」(中学三年生程度の知識の持ち主)と称して、乱暴な口調で指摘していきます。 論語の「由らしむべし、知らしむべからず」といった江戸時代の統治方法がそのまま日本には生きているという事実には唖然としました。 私自身はマスコミの情報に対してそれなりのメディアリテラシーを失わないように心掛けていて、著者と同じように疑問に感じていたことも多くありましたが、自分では気付かなかった問題点や視点などもあり、得ることの多い本でした。 著者が本書のタイトルにしたかったという「おとーちゃんばかりがお饅頭を食べる思想」という表現には最後まで馴染めませんでしたが。
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