これ、少女を主人公にしてるから、 観てられるけど、お父さんが主人公だったら、 観ちゃいられないな・・・。
重い映画です。
沖縄での第二次世界大戦の、末路が、 どれだけ沖縄の人々に大きな傷を 残したか、
そして、本州の人間が、いかにそれに対して 無関心かを、徹底して描きます。
浦山さん、「キューポラ」の次、二本目、 やっとこれですよ!?
その重い腰を上げさせるだけの題材です。
たまにはね、おしゃれ映画とか、ただのエンタメとか、 横に置いておいて、こういう映画に手を伸ばして 欲しいものです。
もうこういった題材で、現代の監督がリアルに 「沖縄」を描くことは無理だと思います。
歌手の喜納昌吉さんが、いつまでたっても、 沖縄の基地問題に対して敏感なのが、 何故なのか、諭してくれます。
ヤマトンチューである僕らも、 もう少し「沖縄」というものを意識したほうがいい、 観光地として、ではなくて。
八月が来るたびに・・・。
20年以上も教師をやってきて、時には深夜に至るまで教え子の相談に付き合ったりもした。作中の熱心な先生のような気持を持ったつもりでいた。しかし本当には人生がわかっていなかった。自分の子供がハンディを持ち、世の中を生きていくことの重さがわかってから、灰谷さんの優しさの意味がだんだんわかってきた。 若い教師の頃は、灰谷さんの本を読んで勝手な批判をしたりした。でも、苦しみを本当に知った人の文章の価値は、苦しみを知ってからでないとわからない。今は灰谷さんの文章に大いに励まされて生きている。
戦争反対、と口にすることは簡単だ。 だが、安易に「戦争反対」という言葉に逃げてはいけない。 この本に出会ってそう思った。 戦争がどれだけ人々を不幸にするのか。 戦争がどれだけの人たちの運命を狂わせるのか。 戦争によって一番傷つくのはどんな人たちなのか。 私たちは、未来を担っていく世代として そういった重く辛い過去をきちんと受け止める義務がある。 神戸に生まれながら、沖縄出身の人に囲まれ、愛されて育った 「てだのふあ(太陽の子)」ふうちゃん。 ふうちゃんは父親の心の病気や「沖縄出身」というだけで 辛い生活を余儀なくされて育ったキヨシ少年と出会ううちに 本当の沖縄の歴史と向き合い始める。 愛されてまっすぐ育ったふうちゃんは 辛い史実からも目をそらすことなく真剣に受け止める。 人々の心の傷は戦後も決して癒されることはない。 だが、そういった辛さ、悲しみを経験しているからこそ 人は暖かく優しくなれる。 悲しみ、憎しみは連鎖する。 しかし、愛情もめぐりめぐるのだ。 ふうちゃんが向き合った「沖縄」は 私たちも忘れてはいけない「沖縄」 私たちも見つめなければいけない「沖縄」だ。 そんな沖縄にこの本を通して巡り会えてよかったと 心から思う。
この本にある詩を読んでいると、どんなときでも心が休まる。
ほかのどんな励ましのメッセージよりも。
それはこどもたちが、
「うまくかいてやろう」とかいう邪念みたいなものが
一切ない詩だからだろう。
だからこの詩をみて、プレッシャーを感じずに、
ないたり、わらったり、せつない気持ちになったりできるのだろう。
ただひとつ大変残念なのは、
灰谷健二郎氏のコメントが非常に蛇足。
もう墨で塗りつぶしたいくらい蛇足。
なぜならばコメントをみたあとで詩をみると、
灰谷氏の解釈でどうしてもその詩を捉えてしまうところがあるから
(と思うのは私だけかもしれませんが)。
素晴らしい!!
タカをくくって見始めましたが、いやあ、 すっばらしい映画でした。
関西の貧困都市部へ赴任した壇ふみさん 演じる先生と、小学校の生徒たちの 涙ぐましい触れ合いと格闘・・・・。
新克利さん演じる教師ともども、 これこそ教育者の鑑だ! と言いたくなる奮闘の模様を、 ある時はシリアスに、ある時はメルヘンタッチで描いた、 「キューポラのある街」以上の快作です。
こうゆうことこそ、「人間関係」だ、と感じさせられました。
ドラマも映画もこれ、といって残っていない 壇ふみさんの若き日の凛々しさ観られるだけでも 価値あり、です。
僕の中では「典子は今」に並ぶシリアスメルヘンの 傑作ですねえ。
あ〜これダウンタウンの松本人志さんにみせたい。 号泣するやろなあ、自分たちの子供の頃思い出して。
ヒューマンな感動とはこういうもののことを 言うのです!!
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