本書は2部から成る。 第1部は、「保守的最高裁の解剖」と題して、日本の最高裁がなぜ世界的に見ても保守的なのかの解明を試みている。 第2部は、「日本で違憲立法審査が十分機能してこなかったのはなぜか」と題して、最高裁が違憲立法審査に極度に消極的であることの理由について、種々の説明(歴史的、文化的、政治的、制度的理由)を検討している。 外国の研究者の書物であるが、日本国の司法制度をよく研究されているし、7人の現職(当時)又は退職した最高裁裁判官などにインタビューした結果を適宜用いており、内情に迫ろうとしている。もっとも、当然とも言えるが、これらの元最高裁裁判官はいずれも匿名であり、推測も困難な程度にしかインタビュー結果が引用されていないので、その点は残念である。しかし、これはやむを得ないだろう。
第1部は、「世界を変革することを夢みる左翼がかった法学徒」が最高裁を進歩的方向に変革しようと試みて、最高裁長官をめざすとき、どういう道があり得るか、最高裁長官に就いたとしてその目的を実現できるのか、といった提起で議論を進めている。 この設定が面白く、あらゆる方向から検討して、この法学徒の試みは絶望的であることが丁寧に論証されている。そして、その論証を通じて、最高裁を頂点とする司法制度を解明している。
第2部は、最高裁が違憲立法審査に極度に消極的であることの理由について、文化的説明、歴史的説明、政治的説明、制度的説明を丁寧に検討して、前2者は説得力が乏しく、政治的説明と制度的説明が回答になるとしている。もっとも、論旨は第1部と重なる部分も少なくなく、第1部に続けて読むと、それほど目新しさは感じられない(有益な情報や視点もあるにはあるが)。また、初出が民主党政権時であったため、今更論じても意味が乏しいと感じさせられる議論もある。そういうわけで、第2部は、第1部ほどには意義を見いだせなかった。
とはいえ、全体としては、最高裁の超保守性の要因を面白く解明している。翻訳だが軽妙な文体で読みやすく、分量的にも簡単に読める。一読してもいいだろう。
森ゆうこ氏の『検察の罠』には、著者本人の丁々発止のやりとりに、格闘技ばりの臨場感を覚えたが、この書は、また違った意味で大変に重要な著作である、と感じた。
何より、戦いの対象が、司法の「本丸」ともいうべき「最高裁」であることが大きい。 そして、著者の志岐武彦氏が、まったくの「一市民」ゆえに、利害ではなく純粋な正義感で、国民の権利を行使しながら、権力の奥深くまで斬り込んでいる。 さらに、哲学者で文芸評論家の山崎行太郎氏が、「小沢裁判」を通して暴かれた「最高裁の罠」が、「戦後日本」そのものが抱える問題であるとの本質を見事に読み解いている。 最後に、司法権力の“実害”に遭った石川知裕氏が登場して検察の暴走ぶりを、実体験に基づいて証言。志岐、山崎両氏の主張の確かさを感じさせる。
具体的な構成は、次の通り。 第一部「検察審査会は本当に開かれたのか」(志岐武彦氏) 第二部「『小沢事件』を読み解く」(山崎行太郎氏) 第三部「検察審査会は有罪偽造装置だ!」(山崎氏による石川知裕氏へのインタビュー)
志岐氏は、「検察審査会」を調べる過程で、一つ一つ湧いてくる疑問符を、ごまかさずに追求していくと「最高裁事務総局」という、司法権の中枢にまでたどり着く。 情報開示を求めては、巧妙に断られ、それでも粘り強く押し返すなかで、「ほころび」を見つけ出していく。その真剣勝負の受け答えは、森ゆうこ氏の著作ばりの興奮を覚える。 その結論として導いた「『検察審査会』じたいが開かれなかったのでは」との「仮説=合理的帰結」(154ページ)には、まさに驚天動地! 並の推理小説より、はるかにスリリング。 志岐氏のケタ外れの行動力、胆力と思索力に敬服の至りである。 このプロセスを、志岐氏と共にたどり、その推理を読むだけでも、十二分に読書の価値があるほどの代物である。
本来、「法の公正」の最後の砦であるべき「最高裁判所」に「不公正」があったとの指摘は、「国家」の信頼の屋台骨を揺るがす重大事である。だからこそ、この書の持つ意味は重い。
石川氏へのインタビューの最後に、山崎氏が発した言葉が胸を衝く。 「小沢一郎を好きでない人は、公正に小沢一郎を有罪にしなければならない。不公正に有罪にすれば、後世、小沢氏は冤罪の被害者、悲劇のヒーローとして甦るだろう。(中略)だからこそ私はあえて挑発的に言うのだ。小沢氏を正当に有罪にしてみよ、この不当な裁判に対し、私は弾劾する、と」。
裁判に関する新聞の論調も、いわゆる司法系の雑誌の論調も、いつも平板で退屈に感じることが多かったが、この本は違う。朝日の一流の記者が、最高裁の判決の裏側の裁判官同士の駆け引きを圧倒的な取材力で再現してくれている。こういう記事が個別の判決毎にタイムリーに報道されれば、司法に無関心な国民の意識も変わってくるのではないか。新聞社やテレビもつまらん政治家の一挙手一投足を報道する人的リソースを、司法にもうちょっとかけてほしいものだ。 そして、最高裁も大きな時代の流れに鋭敏であろうとする努力を払っていることについても、よく理解することができた。司法の将来に希望がもてる、そんな読後感である。是非、続編を期待したい。
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