古典古代ギリシアの研究者は、故田中美知太郎以外は、そろいもそろって謹厳実直な言語学者ばかりに見える。著者は、そのなかで洒脱さと粋を心得た人物と思われるが、読者が「グルメ紀行」と副題がついたこの本を読んで何かギリシア料理のレシピを手に入れようとしたら、それは大間違いである。 ギリシアを旅行した大抵の人が感ずることだが、ギリシア料理に日本人の好みに合うものは少ない。市場に行けば魚介類は豊富だから、新鮮な素材を自分で料理した方が遙かに旨い。古代でも食材は豊富だっただろう。そういう前提で本書を読むと、中身はどうひいき目に見ても「アンチ・グルメ紀行」である。このサブタイトルのセンスのなさは、多分、くそまじめな岩波書店の編集者のものだろう。 それでも評者が星五つをつけるのは、「類書が少ないこと」があるが、なんと言っても「古代ギリシアの詩人達は『味覚』にほとんど関心がなかったこと」を見事に証明しているからである。 それにしても、ギリシアについて日本人が書いた文章の中で、未だに三島由紀夫の一文を上回るものはない。かつて高校国語教科書に小田実の「何でも見てやろう」のギリシア滞在記が所収されていた時期があった。その一番肝心な部分がニーチェの「悲劇の誕生」のパクリだった。河出版世界文学全集の小田実訳「イーリアス」はとうとう刊行されることなく終わった。しかし、薄っぺらい小田実が本物のギリシア紀行が書けた可能性はない。日本のギリシア学者たちの多くはアッチカ方言の詳細に拘り、言語学とドイツやイギリスの古典古代学の厳密さに合わせて慎重に文章を書いているうちに、研究対象の古代ギリシア人が持っていた人間的奔放さや狂気や色気や可愛さを失ってしまった。「干からびて海辺にうち捨てられた干物の如き存在」になってしまった。まぁ、イギリスの高名な学者のように、パルテノン神殿の傍らでにこやかに微笑んでみせる上半身裸の美青年の「ギリシア的エロス」に夢中になってしまうことも考え物だが。 慎重で学術的な書きぶりは仲間内では評価されることだろう。しかし、一般の読者を感動させるいきいきとした書物は書けない。時代が異なるのだから比較しては失礼かと思うが、古典古代の研究者で「現代に生きるソクラテス」のように振る舞えたのは、田中美知太郎ただ一人である。
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