幕府が文久二年(1862)にヨーロッパに送った使節団を、ヨーロッパの人々はどのように見たのかを、当時の新聞などを集めて探った著作。文久二年の使節団の目的は、横浜港を再び閉鎖することだったと言われていますが、それは国内の攘夷派向けの表向きのことで、実際は福沢諭吉などに現地をよく見させて報告させること、だったようです。ということで、フランスからイギリス、オランダ、プロシアそしてロシアを訪問して、各地で盛大な歓迎を受けつつ、公式訪問の間に、軍事工場などに赴き、休むことなし観察し学び質問しメモとスケッチをとる姿が、当時の報道からもうかがえます。
使節団は、身体こそ小さく、美男子ではないにしても、綺麗な歯を持つ冷静で礼儀正しい貴人として、日本の良いイメージを与えてくれたことには、本当に感謝ですね(p.109)。プロイセンのベルリンでは、ユリウス・ローデンベルク(1831〜1914)が《日本人は、何かを本気で観察したり、また自国にとって本当に役立つかもしれないことを学んだりすることにかけては、洗練された印象を与える比類ない人びとである。彼らはいつも、わかるまで質問する。彼らはしばしば、技術的な事柄に関しては、もっと落ち着いて観察できるようにと、その分野の専門知識をもった下の者を翌日もう一度来させてくれるよう求めるのである》と伝えています(p.218)。なんと生真面目といいますか、高度経済成長期の商社マンみたな感じさえ受けます。
その一方で、大衆的な楽しみの場も逃さないというあたりの好奇心も、昔と変わらなかったということでしょうか(p.200)。あと、写真が大好きで、何枚も自分たちのポートレイトを現地の写真館で撮らせているのも可愛いな、と(p.193)。使節団の一行は、抑圧退屈症に陥っていたヨーロッパの人々にとっても好奇心をそそられる対象だったのかもしれません(p.210)。
これまでにも何冊か、この報告書の日本語訳は出版されているが、翻訳者である村井氏も書いているように、あわただしい戦後の状況の中で出版されていた背景から、今ひとつの内容であったといえる。 だが、この文庫はコンパクトにできており、さらに廉価であるために、日本の戦後教育に大きな影響を与えた使節団報告書に触れる入門書として最適であろう。
本書は久米邦武による『特命全権大使米欧回覧実記』の解説書的な立場にある。岩倉使節団の一員として米国、欧州を体験してきた久米は『実記』という形でその見聞を世の中に知らしめた。現代でも岩波文庫版として我々も容易にその内容を知ることができる。しかし、まずそのボリュームに圧倒され、また漢字とカタカナの文語体で書かれているため大変読みにくい。田中氏による本書は現代の我々にも大変わかりやすい表現で解説してくれているため、『実記』での重要な表現あるいは指摘を再度認識させてくれる。また筆者が実際に米欧各国を訪問し、『実記』の挿絵にある建築物や風景を写真として記録に残し、スケッチと並べて載せているものがいくつかあり、筆者の熱意が伝わってくる。『実記』を読破された方であれば本書は肩を張らなくでも手軽に読むことができ、更なる理解の一助になることと思われる。
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