今回初めてアルバートを映像で観ました。以前からCDの音を聴いていて、その独特のトーンを不思議に思っていましたが、この映像を観て改めて納得と驚愕です。 まず第一に氏が左利きで、愛機ルーシーの弦が右利き用の張り方のままであり、つまり右利きのギタリストとは弦の張り方が逆になっているということが即座に観て取れます。それはつまり、高音弦側を俗に言う引き下げチョーキングでアプローチし、低音弦側を通常にチョーキングしているということなのです。それは大きなメリットであり、それが氏をしてあの激しいチョーキングを行わしめている要因のひとつであることは明白です。そしてさらに親指メインの指弾きピッキング奏法の生み出す独特なトーン。汗だくのヴォーカル。 そして氏は「なぜ左利き用の弦に張り替えなかったのですか?」という問いに「左利きだから左で弾くよ。もしそんなことをしたら自分の音が出せないから演奏出来ないよ。ましてやルーシーだって喜ばないはずさ。」と言っております。やられました。カッコよすぎですぜ。 その他にも氏の音楽性のストイックさが如実に観て取れます。例えば、高音部を歌うとき、片耳に手を当てて正確に音を取ったり、バック・バンドに指示を出している姿等々。そして彼らも非常に素晴らしい演奏を繰り広げています。 まさにKING OF BLUES と言うにふさわしい。ぜひともたくさんの方に観てほしいです。
「こりゃ凄い、こんなのありか」、”As The Years Go Passing By”を聴いた後思わず口にできた言葉だった。 元々クリーム(Born Under A Bad Sign)、フリー(The Hunter)のオリジナルを聴くのが目的だったのだが、この曲にハマってしまった。もちろん全体としても見事の一語につきる出来栄えで、録音当時A.キング42~44歳と油ののりきった頃で、歌と歌の間にギターを入れるオーソドックスなスタイルながら、スタックスサウンドとホーンセクションを得て洗練された仕上がりになっている。稲妻のように鋭いトーンとビブラートを多用しない突き刺すようなチョーキング、簡潔かつ無駄のないプレイ、閃きと独特の揺らぎが彼の奏法の特徴で”Personal Manager”あたりではそれらを集約的に聴くことができる。ゴスペルを背景としている味のあるボーカルも劣らず魅力的だ。”I Almost Lost My Baby”ではほぼ歌だけで勝負できているほどの素晴らしさである。
一見ベタだが、タイトルを象徴する(13日の金曜日、黒猫、スペードのエース等)ジャケットも楽しい。ロックファンにもとっつきやすい作品集と言える。当然買いの一枚。
初版から、すでに四十年以上の時を経ていますが、ジャズ評論家の良心、粟村政昭さんの名著はいまだに不滅の価値を有しています。それは、著者の審美眼のいかに優れているかに拠るものですが、同時にまた、粟村調とでも呼ぶより他にない文章の力が、その正しい評論にさらに美味な味付けをなしている点も大きな魅力です。その一例を記します。スイング時代の名トランペッター、ジョー・スミスの項に「(フレッチャー・ヘンダーソン楽団でソロを吹いた)「スタンピード」のソロを聴いて感動しない奴は、人間ではないと思う。」と書かれています。なんとも大胆な、まるで命を張ったようなこの一文を、私は13歳で初めて目にしたのですが、・・・「なんという褒め方だろう」と思うと同時に「是非とも自分の耳で聴いてみたい」と思いました。 当時。長らく廃盤であったその演奏はいまではCDで容易に聴くことが出来ます。私もはじめて入手するまでに相当の時間を有しました。そして10数年前、出張先のバークレーのレコード店でCDを求めましたが、聴いた瞬間、腰を抜かすほど感動すると共に「粟村さんの耳の良さと、その筆の魔力」に改めて畏怖畏敬の念を覚えました。粟村政昭著「ジャズ・レコードブック」とは、そういう本です。いまどきのレコード・ガイドとはまったく値打ちが違います。そして、ジャズを愛し、ジャズにある種の人生を捧げた人間にとって、いつまでも色褪せることのないバイブルであると思います。この本に出会わなければジョー・スミスのソロに出会うことはなかったでしょう。そんな出会いが、全ての項目に散りばめられているのです。あえてバイブルと申し上げる所以です。
歌だけでも深い味わいがあり、ギターも素晴らしい。白人ギターリストへの影響も多き方たのはむべなるかはーーーー。
私はこの40年間、音楽、映画、本、芸術、人物評価の指標として、1真摯さ、2辛辣さ、3アンチコマーシャリズムを持って、評価してきた。このアルバムは12については満点をつけても良い。非常に深い味わいがある。只3に関しては、聞き手(特に白人)に対する阿り、媚があるように思える。歌・ギター共に非常に才能があると思えるが、その点が少し残念だ。
|