鈴木宗男氏が見てきた政治家について、書かれた本。なかなか読み応えがある。小泉純一郎がぶっ壊すと言ってから、とかく悪く言われ続けた古い自民党。そんな古い政治の良さを古い政治家個人の魅力を語ることにより読者に訴えている。また、著者が語る数々の修羅場はなかなかにスリリングで面白い。
ただ、一つ忘れてはならないのは、著者はこの本を善意だけで書いている訳ではないということだ。この本は「新自由主義から脱却し、古き良き政治を取り戻すべきである」という考えを広めるという明確な目的のために書かれている。全てを鵜呑みしてはならないと警鐘を鳴らしておきたい。
一つ具体的な話をしよう。この本のお金に関するエピソードで、何かと条件をつける福田赳夫氏と何も条件をつけない田中角栄氏が対比され、後者を優れていると鈴木氏は評している。ただ、自民党で北海道開発庁長官の頃の鈴木宗男氏には、こんなエピソードがある。自民党があまり票を取ってない地域の人間が陳情に行ったところ、いきなり引き出しを開けて選挙の地域別得票率を見ながらこんなことを言ったそうだ。「陳情は陳情として受けるけど、あんたのとこはこの得票率で何かものが言えるのか?」民主、旧社会党の地盤が強いところの人間で陳情に行った人間は、恐らく皆このようにチクリとされているはずである。そんな自らの行いを欠片も省みずに福田赳夫氏のことを言うのは、僕はズルイと思う。
願わくば、次の本では自らの自民党時代の驕りを自省することもしてもらえたらと思う。松山千春の言葉「宗男さん、権力に近づきすぎましたね」をもう一度胸に刻んで本を書いてほしい。
戦後の政治は、政治家(永田町)と官僚(霞ヶ関)の抗争の歴史でもあった。 ロッキード事件(田中角栄)、佐川急便事件(竹下登)、陸山会事件(小沢一郎)、鈴木宗男事件等々である。 政治家と政治家の抗争に検察等が一枚噛むという構図である。
.小沢は、標的となることを全く予想していなかったが鈴木宗男も同様である。小沢の場合は、誰が日本を支配するかの政治家と官僚の戦いであった。
.外務官僚の頭には「日本の国体」の中に日米安保条約が組み込まれている。「国体」を危うくする動き即ち日米同盟の根幹に触れることには厳しい拒否反応を起こす。アメリカスクールの連中の中にはアメリカに「ご注進」とばかり報告に及ぶ者がいる。 外務省から内閣情報室に出向していた某参事官が浴室で発見され自殺と見られているが外務省が5年もたってから宗男事件で殴られたと持ち出してきたた人物であり決して気が弱い人物ではない。恐らく独り善がりの国家感・正義感なりがあったと考えられるが、都合のよい曲がった情報を官邸に上げているうちに辻褄が合わなくなったのではないか。箝口令を引いたらしいが外務省はどこかおかしくなっている。 官僚の職業的良心は、出世らしいがこれもアブノーマルである。
.検察も正義の味方ではない。自分で事件のストーリーを勝手に作るが余りにスカスカで始末に負えない。 「調査活動費」の経理書類を捏造・偽造し私的な遊興・享楽を賄っていた。そして、告発しようとした大阪地検の公安部長三井環をTV出演当日の朝逮捕した。検察批判の声が大きくなることを恐れ、こともあろうに色んな所において事件を作り始めた。マスコミもその一翼を担ったが流石に複数の無罪判決が出た。 裁判官も「頑強な迷信型」(被告人は嘘をつくが捜査管は嘘をつかないと盲信している)三割、「熟慮断行型」一割、「優柔不断型・右顧左眄型」六割らしいから裁判の結果も「運」次第である。
.新自由主義者小泉純一郎政権成立後、政治家同士の喧嘩の仕方が変わった。手打ちという穏便な落とし前の付け方が出来ない。その後自民党がボロ負けしたのは抵抗勢力とかのレッテルをつけて議員個人に向けた最終戦争みたいなやり方を始めたのが大きな理由であろう。それは、自民党の伝統ではなく共産党のやり口である。
.マスコミは、器であると考えたがよい。散々、誤報を流してしまったら筆を折るのが筋であるが手の平返しをした。国策捜査で捕まった人たちは、恨む対象を間違えた。マスコミでなく検察であり外務省であったのだ。
.鈴木事件を見ていたロシア外交官たちから、「政治の世界には浮き沈みがある。今回、鈴木宗男は沈んでしまった。それに佐藤優も巻き込まれた。しかし、あいつらは筋を通し、日本人は約束と機密を守った。将来、われわれが信用する日本の外交官や政治家と仕事をしてもロシアは裏切られることはない」。 「私と鈴木さんは、きれいに死ななくてはならない。そのことによって日本の外交官と政治家を生かすことができる。そして、北方四島が少しでも日本に近づけることが出来れば本望だ」。
.加藤絋一に反乱を起こされロシア・北朝鮮にまで密使を送られ外交を妨害された森善朗は佐藤優に、「君は、加藤政権になっても俺に仕えるのと同じ気持ちで加藤に仕えてくれよ」とブルネイの地で伝えてきた。決して忘れられない。
読み物として二人とも地頭がい良いので非常に面白い。
大御所ギタリスト・森園勝敏が自らのバンド『Bird's Eye View』とともに製作した力作。 この時期の森園氏はナベサダやジョージ川口らと共演したりと、ジャズへの傾倒を見せていた時期。 それを見事に形にしたのがベン・シドランの名曲「キャディラック・キッド」のカバーだ。 ベン・シドラン必殺のリズムとも言うべき連拍のリフレインを生かしながら、テーマ部分を4ビートに作り変えたアレンジは絶妙で、白尾泰久氏のサックスともども“名演”とも言うべきプレイを聴かせてくれる。この曲は当時フュージョンからジャズ寄りの演奏をしていたこのバンドのメインの楽曲であり、ライブでも大喝采を浴びていた曲でもある。 またしっとりしたボーカル曲も秀作揃いで、森園氏の充実ぶりが窺われる。コーラスを担当した当時の中村哲の奥サマ・中村裕美子の存在も光っている。もちろん森園氏の泣き節ギターも絶品だ。 ジャズ・フュージョンのバンドの割りにはドラムが若干カタい感じがするが、バンドのまとまりも非常に良く、全体的に落ち着いたムードて統一された非常に丁寧な作りのアルバムだと思う。 ちなみにこのアルバム、スイング・ジャーナル誌の人気投票で3位にランクインした実績を誇る。 あの四人囃子で縦横無尽にギターを弾きまくっていたロック・ギタリストのソロ作とは思えない現象として、当時は大いに話題になった作品である。間違いなく日本のジャズ/フュージョン界に足跡を遺した名作中の名作。
早く言えば、鈴木宗男の恨み節全開本です。
特に、外務省への恨み辛みが凄まじく、実名を挙げて幹部を批判しています。
金、女、宴席での醜態……。
可愛さ余って憎さが百倍、ということだとは思いますが、鈴木さんも述べている通り、本人にも責任が大有りだとは思います。
また、外務省内での権力闘争を詳細に書いていて、欲望と嫉妬の世界を生きる男たちの醜さも伝わってきます。
政治家もズバズバ斬ってもらいたかったのですが、政界に関することは曖昧な表現が多く、この本では政治家に関する弱みを暴露することはありません。
恐らく、これから先の自分の政治生命を考えてのことだとは思いますが、含みを持たせる表現が多く、もっと本質に斬り込んでくれれば、さらに面白い本だったはずです。
ただ、鈴木宗男逮捕への流れを作る時に、最後は首相官邸の誰かが検察・メディアの背中を押したと書かれていて、その人物が実名で書かれていたのは良かったです。
鈴木宗男の性格である「やられたらやり返す」という矛先が、外務省へ向いて
その集大成が今回の著書だと思います。
面白い本ではありますが、色々な部分で醜さも全開の本です。
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