信念を貫く 平成23年6月28日、B型肝炎訴訟の全国原告団、弁護団と国(管直人政権)が和解の基本合意書に調印しました。救済の対象となる患者、感染者数は推計で43万人、和解金などは最大で3兆2千億円になると報じられております。
B型肝炎訴訟とは昭和23年から63年までの40年間、旧厚生省の指示が出るまで国が定めた予防注射等で注射器は使い回しされており、それが原因でB型肝炎になったとされる訴訟です。一審では原告敗訴、高裁、最高裁では逆転勝訴になりました。
「B型肝炎訴訟」(与芝真彰著、かまくら春秋社)には医事裁判の現実、特に専門の権威ある教授の意見がそのまま証拠になって、判決につながっていくこと、そのような裁判のあり方に疑問を持ったB型肝炎の疫学の専門家ではない与芝真彰教授(専門は劇症肝炎)が事実を積み重ねた論理で証言を行ない、一審での敗訴から高裁、最高裁での逆転勝訴にいたるプロセスが描かれております。
特に巻末の下記の記述に感銘しました。 札幌高裁や最高裁での判決が極めて緻密な論理のうえに構築されたものであつたことを知って頂ければ幸いです。 つらかったのはB型肝炎訴訟も劇症化予知の訴訟も相手方(国や県)の三人の証人が日本肝臓学会を通じての知己であり、その分野の「権威者」であつたことです。そのうえ、二人は東大の医局の先輩でした。お一人は既に亡くなられましたが、もうおひと方は健在で、現在も肝臓や消化器の学会のボス的存在です。この三人との対立は、その後、陰に陽に学会や厚労省の班会議での私の立場を不利にしました。 この先輩お二人を近くから見ていると、若いうちはともかく、東大出身者の中にはある年齢になり社会的地位が高くなると「権威者」になって自らの信念や患者さんの立場より国や県といった権力側に立つようになる人もいるのだと感じられます。(全文)
数年前、与芝真彰先生(現、せんぽ東京高輪病院長)と出会いました。 「生老病死」は与芝真彰先生が昭和大学藤が丘病院を退任したときのブログです。 http://www2.shizuokanet.ne.jp/sabu/back/090316.html
無罪モラトリアムのときと比べると音の深みが増してます。 発売当時は、あまりよく思えなかった人も居ると思いますが。 今、今聞いてください。 発売から5年あなたの聴いていた勝訴ストリップは、すっかり名盤になっているはずです。 4曲目のギブスからの流れは最高です。 彼女の哲学的な歌詞や、彼女の頭ん中の音が再現されたアルバムといっても過言じゃないでしょう。 21世紀アーティストに置ける名盤として重宝しています。 偏見されがちな彼女ですが、是非聞いてみてください。 ちなみに一番好きな曲は「闇に降る雨」です。 クラシック的なメロディと歌詞に魅了されてしまいました。
EMIの再発売の経緯は、他のレビューにあるように最低だと思います。せっかくの良い作品が台無しです。 でも、この音質は最高です。DVDに96kHz 24bitで収録されてますので、CD(44kHz 16bit)より遥かに良い音質です。レコードの自然なアナログ音質に近付いているのでは? 具体的には、ボーカルの息使いがリアルに、シンバルの音が伸びやかに、キンキンしたデジタルっぽさが軽減され、聴き疲れしません。 特に3rdアルバムは当初CCCDの残念な音質だったので、雲泥の差だと思います。 同時発売のCD-BOXよりも、このDVD-BOXのほうが音が良いです。 PCオーディオ(パソコンで再生し、コンポーネントオーディオなどに繋げて聴く)環境の人に是非聴いていただきたいです。本DVDから無圧縮音声ファイル(WAV形式など)を抽出してもいいと思います。 他の色々なCDも、このような形で、HDフォーマットで発売していただきたいと切に願っています。
オフィシャルバンドスコアの利点は
原曲によりよく近く譜面に起こせてるかどうかです。
このスコアはバンド初心者の方には難しいと思いますし
逆に言えば鍛錬の書にもなります。
プレイヤーが足りないとかなり負荷がかかります。
ある程度じゃなく、精神面も技術面も向上心なくしては
参照できない。
林檎さんの曲目解説もなかなかストレートでいいし
耳コピがしにくかった部分を補うには役に立つかも。
前作はストレートなロックサウンドを中心にした楽曲で構成されており、 より幅広い層にアプローチできるアルバムであったが、ここに来て、 本来彼女が目指していたであろう独特の世界観が少しずつ垣間見えてくる。
林檎の楽曲の魅力はサウンドのかっこよさももちろんあるが、彼女が織り成す強烈な言葉の数々。 音楽は普段は口下手な彼女が自分を伝える手段であるということが痛いほど伝わってくる。
一風変わった言葉だけに好き嫌いははっきりと分かれるだろうが、 「リスナーに伝わることがある」ということは その言葉が決して奇をてらっただけのものでなく、 彼女の中で「本物」であったからだと感じる。
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