開戦時のルーズベルト大統領は、大恐慌克服のためにニュー・ディールを政策としたことで知られている。1930年代には多くのニュー・ディーラーを生み出した。日本の占領は、その雰囲気の延長線上にあり、本書にもあるように将に「ニュー・ディールとしての占領」といえる。
日本に対する占領方針は、戦時中から起草され1945年11月に完成された基本指令がマッカーサーの下に送られた。本書が関係する経済についてもこの方針に基づくことになる。ここにハドレーは31歳の若さでニュー・ディーラーとしてGHQ・GSのホイットニー准将、ケーディス大佐のもとで経済政策に辣腕を振るうことになる。 ところで占領方針を立てるためにワシントンで戦時中、日本について理解を深めるとしたらE・ハーバート・ノーマン『日本における近代国家の成立』しかなかったと言うのが、凄い。そして「(日本を変えようという)試みの成功に最大の自信を持っていたのは、日本について知識がもっとも少ない一群の人々であった」と率直に語る。 ハドレーは占領後の潮の変り目の中で“左翼”として排斥された。名誉回復されたのは1967年のことであったという。
「財閥解体」の当否は別として、占領とは何であったかを知るための資料として、率直な実行者の記録である本書は貴重なものといえよう。
「国家総動員というとすぐに軍部独裁を思い浮かべる向きが多いだろうが、当時は産業資本や財閥もこぞって政策に賛成していたのである。」 「戦後になって「戦前は軍部の独裁であった」と繰り返す論者たちは、この「軍財抱き合い」という点を見逃している。軍部がいくら頑張ったところで、軍事物資がなければ何もできない。軍事物資を生産するのは民間の重工業企業である。財界の協力なくしては、軍部は何もできなかったのだ。この単純な事実をしっかり見る必要がある。つまり戦前の日本は財閥によって支配されていたのである。」(128) 「戦後になって独裁者呼ばわりされた東条英機は、木戸(内大臣)によって奏請されて首相になり、同じく木戸によって倒閣されているのである。戦前の「宮中」こそが日本の権力構造の中心であり、そこで政策が決定されていたことをよく物語っている。」(192) 現天皇にはアメリカ人の家庭教師がついていた。
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