大江健三郎の作家デビュー期の作品集。初期からどれだけ完成された才能だっかがよく分かる完成度の小説ばかりだが、これらの作品は終戦時から朝鮮戦争時までを舞台とし、米兵や日本軍だけでなく、頭でっかちなインテリ、ひたすら沈黙している一般大衆などへの嫌悪感がストレートに書かれている。この「嫌な感じ」の底に流れる性欲の見せ方が本当に汚らわしくて巧い。
今では戦後民主主義の礼賛者としてカリカチュアライズされている作家ではあるが、この若き日の作品集を読むと進駐軍が象徴するアメリカへの反感も濃厚であり、この点が興味深かった。政治的な小説ではあるんだけど、ある固有の主義やイデオロギーに根ざした主張ではなく、もっと根源的な人間の嫌らしさと政治性に対して表現を試みた作品集だと思う。そして、そういった態度表明が大江にとっては実存主義を生きるということだったのだろう。
太平洋戦争末期の困窮した山村を舞台にして、日本人社会の戦争責任をテーマに描いた大島渚の力作。テーマ自体が大きなもので、しかもそれを力押しに押した映画でありながら、決して図式的、観念的な絵解きだけの映画にはなっていないのが立派です。これは、脚本(あるいは原作?)の段階から、登場人物の性格づけが巧みであったこともあるでしょうが、俳優陣の好演によるところが大きいでしょう。 村の顔役(本家)を演じた三國連太郎、その妻の沢村貞子、分家の加藤嘉、山茶花究(絶品)、そして子役達。かれらは、日本人のある種のタイプ(都会生まれで20代までの人には分からないかもしれませんが)を実にリアルに体現しています。そして、かれらの演技が血の通ったものであるため、この映画は、戦争責任という範囲を越えて、さらに人間や共同体の根本的な「悪」まで突いているように思われました。すなわち、「それぞれが被害者と加害者の側面を持ちながら自分を被害者としてしか見ず、罪に対する責任を認めようとしない。罪を逃れきれない状況となれば、責任は立場の低い者、死んだ者、そしてよそ者(外国人)に押し付けられる」、そうした構造的な無責任です。 しかし、こうした人間や共同体がリアルに描かれているということは、彼らの貪欲や卑劣、卑屈がそれだけ生々しく観る者に迫ってくるということです(半端でない!)。結果として、映画は異様な重さと迫力を持つものになりました。正直、敬意は払いますが繰り返し観たい作品ではありません。 あと、画質について一言。画面はモノクロで、まあ良いのですが、一部シーンで影の部分が白く浮く(曇る)デジタル特有の不良現象(ちゃんと名前があると思うのですが分かりません)が起きていました。マスターが良くなかったのかもしれませんが、市販ディスクでお目にかかったのは初めてです。
大江先生が芥川賞から次つぎへと賞を受賞され、ついにはノーベル文学賞 までに至った経緯の中で、非常に重要な作品だと思います。 読書離れをして、携帯ばかりいじっているような世の中で、色んな意味で、 この本を読んでほしいと拙に願います。
ただ、本の好みはありますが、中には読書を中断してしまう人もいるでしょうが それは、文学というものの世界観になじめていない人であろうし、また一方で 純粋に毛嫌いする人もいるかもしれません。
私的な感想を述べますと非常に大江文学の中で読みやすい本です。 是非ともチャレンジしてもらいたいものです。
冬休みになって久しぶりに聞いたらなんかすごくいいなあって思いました。好意的なレビューが少ないですがとてもいいですよ。二枚目のCDですがさらに良くなってると思います。心がきれいになっていく感じがします。
いやーー、すごい本を読みました。
様々な時間におけるたくさんの事件が、続々と、続々と出てきて、フォローするのが大変でしたが、それらが終末において、ものすごい勢いで解きほぐされていきます。というより絡み合っていく。その、緻密さがすごいです。
出てくる事件とは、思いつくままあげると、万延元年の一揆、60年安保、戦後すぐの兄の殺害、妹の自殺、障害を持った子供の誕生、妻のアル中化、友人の縊死、、、等等。
とってもスケールの大きい推理小説としても、非常に楽しめる感じです。
しかも、内容においても、人間の根幹に迫る(?)ようなものでもあるのです。
たとえば、鷹四(主人公の弟)は、「本当の事」を考えているんですが、本当の事とは、「ひとりの人間が、それをいってしまうと、他人に殺されるか、自殺するか、気が狂って見るに耐えない反・人間的な怪物になってしまうか、そのいずれかを選ぶしかない、絶対的に本当の事(P258)」なんだそうで。「そういう本当の事を他人に話す勇気が、なまみの人間によって持たれうる」かどうか、と問うわけです。兄の蜜三郎に。
で、鷹四の言う「本当の事」とは一体何の事なのか?小説の中の、どの事件に関連してくるのか?鷹四自身のどんな行動、identityに結びつくのか?と、ね。いやーすごい。すごいんですわ。
巻末の「著者から読者へ」で大江自身が「この小説は僕にとってまことに切実な意味で、乗越え点をきざむもの」と書いているように、著者にもこの作品に相当な思い入れがあるようです。ね。
が、読むにあたって、僕の方が「乗越え」ないといけなかったこともありました。
まず、血や肉の生々しい描写があって、時々しんどくなりました。それと、大江らしい難解な文体は、なれるまでずっとしんどかったです。主語と述語がやたら離れてるとか。
ともかく、読み応えありましたー。
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