毀誉褒貶が激しいのは、存在感の証でもある。 辻元清美氏も角度により様々な貌を見せる。本書は自社さ政権の成立と崩壊、その後の自民党中心政権特に小泉政権と対応しながら、民主党鳩山政権に副大臣として加わり、菅政権に補佐官として加わった辻元清美氏のその政権の日々の言わば厳しく言えば「言い訳日記」と「弁明記」である。 しかしながら、本書の積極的側面は「市民運動」を出発点とする辻元氏の「統治」に関する体験の深化と伴に変化する官僚観・政治観・国家観、批判勢力であることだけに存在価値があり存立基盤がある旧社会党(社民党)の限界と辻元氏との亀裂を、「政治の質」をキーワードに書き残そうとした試みにある。 政治家の著作にありがちな己の事績に対する「手柄話」的な側面や弁明的言い回しはご愛嬌として、今日本に辻元清美が必要か必要でないのかを考える材料の一つにはなる。
上野氏の話題作「おひとりさまの老後」が通用しない世代がある、という辻元氏の疑念から生まれた社会学者と政治家の世代を超えた対話。
現代の日本が抱える様々な問題−雇用、住まい、子育て、教育、医療、介護、年金等−を世代間の対立を切り口に、元気な二人の「おひとりさま」が今の政治のあり方をばっさり切っていく。
そして、団塊世代とロスジェネ世代は世代間対立を越えてつながることができるか。様々な提案がなされる。
高齢者の持ち家のフロー化、イタリアの「世代間連帯協定(55歳以上労働者のパートタイムへの転換による若年失業者へ仕事の移譲)」の紹介、そして年金の一元化。年金を個人単位にし、「払ったものしか戻ってこない」を基本とすべき、として現行の第三者被保険者の保険免除を鋭く指摘。
しかし、「年金は現役世代から先輩世代への贈与であり、あとから来る世代を信頼できるかにかかっている」とは続くのは、いささか楽観的に感じる。
分断され、対立し合うのはしかし一人世代間だけではない。正規雇用労働者対派遣社員、バリキャリ女性対負け組男。知的な上野氏ですら専業主婦に対する敵意は隠せない。
しかし、弱者同士が対立する図式から、つながり合うという連帯への兆しも生まれている。希望を感じる。
社会に対し、一人の構成員としてきちんと向き合う必要を感じさせる一冊。政治は確かに他人事ではいけないものなのだ。
宮嶋氏のデビュー作。「史上最低の作戦」の解説で勝谷誠彦氏が、かなり文章に手を入れたと書かれていたので、それより前に書かれたこの本はどうなのかというところが若干気にならないでもないが、ま、出来上がった本として読む分には気にすることはない。 この独特の文体がいい。とりわけ、漢語調の文体の切れがよい。書かれている事実自体もすごいことなのだが、この文体がなければ、面白みは半減しているだろう。そういう意味でも、このスタイルを確立した本書は読む値打ちがある。 考え方に迷いのない文章でもあり、読んでいて気持ちが良い。そういう意味で、これは文学というか、詩と言うか、そういう値打ちがあると思う。
ピースボートを立ち上げたときの話など、 知りたかったことでした。 その後の人生も、読んでいて元気が出ました。
この本に登場する辻なんとかさんに投票した人は、勇気を出してこの本を読んでみましょう。
語り口は荒っぽいですが、きっと少し違った景色が見えて来ますよ。
見ないふり、知らないふりで夢ばかりみてちゃ、我が国は滅ぶよ。
国が滅ぶってことは、政治家だけじゃなくって、つまり国民ももろともだからね。
それとも・・・、それを望んでいるのか、この人たちは?
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