2001年にKIDから発売され、「ルームパート」が話題になった「Close to 〜祈りの丘〜」を、同じくKIDの代名詞的作品で名高いメモオフシリーズを小説化した日暮茶坊氏がノベライズした一冊。本作でも日暮氏はシナリオ執筆に参加しているので、Close toのノベライズでもお鉢が回ってきたともいえるだろう。
主人公元樹がメインヒロイン遊那といっしょに交通事故に巻き込まれ、元樹は脳死状態となり幽体離脱してしまい、遊那は元樹の記憶を喪失してしまうというのはおなじみの展開である。他にも、小雪や麻衣との出会いで元樹が手に入れた念力でモノを動かせる超能力「ルームパート」の小説上での描写や、翔子との催眠術・白い羽なども登場し、一応小説ならではのストーリーとして、Close toの世界感は輪郭・骨格共にほぼしっかしできているものと言えよう。
ただ残念なのが、麻衣の正体が判明し、白い羽によって麻衣が昇天していくものの、それによって遊那がどのように元樹の記憶を復活させるのか、その過程が全く描かれていないのがちょっと残念。翔子が催眠術と使って遊那が元樹の記憶を取り戻そうとするシーンはあるものの、その負担の大きさから結局成功せずに終わってるので、矛盾が感じられなくもない。小雪の心臓移植の行方も書かれてないのも含めて、その先は?というところを挙げると、いくつか散見されてくる。小説としての格も、同じ日暮茶坊KID小説としてメモオフシリーズと比較すると、下がってしまうのは仕方がないところか。メモオフシリーズより全体的にさらっとしており、ページ数も200ページを切っているので、割と短時間で読んでしまえる一冊だ。
本書最大の見ものと言われたら、私はやはりキャラクターデザインごとP氏が描き下した表紙絵・口絵を挙げよう。表紙絵は遊那と麻衣のツーショット、口絵は、表紙を開いてすぐに出てくるものは後述に回し、裏には小雪の不安そうな姿。
一番ドッキリ心臓を抜かれた口絵として、表紙をすぐにめくって表れてくる、遊那と翔子の水着姿ツーショットが折り込まれている。日暮氏が「あとがき」で、翔子は遊那を立てようとするとやっぱり貧乏クジを引かざるを得ない可愛そうなキャラと指摘してるが、この口絵では、遊那を差し置いて、翔子が「ヒロイン」として君臨している姿に見えてくるのだ。翔子のナイスバディーなワンピースの水着姿には、本文中でもあるように普段翔子を「異性」として意識していない主人公元樹の側に立ってみても、「やっぱり翔子も女の子なんだな」と改めて感心させられてしまうほど立派かつドッキリな一枚である。ごとP氏には感服してしまい、感謝申し上げたいほどだ。
小説本文はさておいても、このドッキリな水着口絵一枚を目当てに本書を手に取るのも悪くなく、それだけで十二分に見応えのある一冊でもある。
あふれるくる情熱と繊細なタッチは、ライヴの中で、一層際立ちます! 一見、相反する魅力ですが、これがマッチする瞬間は、ぜひともライヴで!
葉祥明さんは、1998年旅をしたイタリアの風土に魅せられ、深く感動し、その魂の深い感動の軌跡を、この画集の中『トスカーナの祈り』に静かに大切に納めました。 旅はヴェネチアに近いヴェネスト州の小さな町から始まり、絵本の村サルメデ、トスカーナを経て、山と緑に溢れたイタリアの緑のハート・ウンブリアへ向かいます。 光が濃い、影が濃い、緑が濃い。羊の形の白い雲、底光りするほど青い空、淡く揺らめく金色の午後。自然の生命の息吹が聞こえます。 そして旅の最終目的地は聖地アッシジ。青いガラスのような空に、白い雲。スバージオ山に抱かれた美しい丘と緑の野、点在する家々。かすかにバラ色に輝きながら町を守るように建っている聖フランチェスコ教会。獅子座流星群の夜。光り輝く日が絵の中に蘇ります。 太陽・風・雲・月・星・大地それら全てが絵の中で静かに今も生きていました。
KIDのエース打越鋼太郎、中澤工による切ない系ノベルゲームです。 と言ってもノベルパート以外にROOMANIA#203を思い出させるようなルームパートもあるので純粋なノベルゲーではありませんが。
シナリオとしてはぶっとんだ打越節に引く人もいるかも知れないのはまぁ打越関係作品の基本なのでおいといて、最初にパッケとか説明見て思った話の流れから予想外の展開にもっていって綺麗にまとめているのは流石エース陣といった所。
KID黄金期の一作ですのでおすすめできる出来です。
ただ元のDC版からPS2以降版への変更点が個人的に納得行かない。 追加要素はいいのですが主題歌がDC版の名曲から平凡な曲になってしまったのとヒロインの一人である汐見翔子の髪型が何故かショートからセミロングポニテに変わったこと。 髪型が変わったために受ける印象が変わってしまって、DC版でぴったりだと思った部分がズレてしまった。 ごとPさんに合うことがあったら何故なのか聞いてみたい・・・。
あとの追加要素はアリです。
01:ピエ・イエズ
Pie Jesu, Domine 慈しみ深き主、イエスよ
qui tollis peccata mundi 世の罪を取り除いて下さい
dona eis requiem 彼らに安息を与えてください
sempiternam requiem 永遠の安息を与えてください
え〜グレゴリオ聖歌の時代(14世紀頃)までに
すべてのレクイエムの基本は出来上がっていた、という考察と
聖書の文言には著作権なし(またはとっくに消滅)と信じ歌詞アップ。
基本的に、レクイエムは死者の安息への祈りだけど
qui tollis peccata mundi の一節は、
「Agnus Dei」(神の子羊=イエス・キリスト)に属する文言で
(↑ヨハネによる福音書 第1章19〜34節)
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi この世の罪を取り除く神の小羊よ
は、現世の世界の罪(生きている私たちのために)を
払って欲しいという事(との願いを込めたもの)かな?と思ったのですが、
3番(という言い方でいいの?)の、
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi 以降が
dona nobis pacem〜我らに平和をお与えください、でなく
dona eis requiem sempiternum〜彼らに永久の安息をお与えください と
「平和の賛歌」の方ではなく
「死者のためのミサ」の文言を選んでいることから
幸二郎さんの想いは、すでに今生では会えない人々への
鎮魂の意味が強いの?と思ったり…
でも、この広がるような明るい声での歌唱は、
この困難な世界を生きている人々と死者を分かつことなく
安息の光を照射している感じがします。
ちょうど、レ・ミのエンディングの白い光のように。
02:星は光りぬ〜「トスカ」より
前曲とトーンが変わり
「星はきらめき・・・」の歌い出しから、濃紺の闇の意匠。
夜と彼の境遇の。
「トスカ」については物語もほとんど知らないので
(サン・タンジェロの脇は、何度通り過ぎたか分からないのに!)
幸二郎さんの紡ぎ出すイメージでは、「君」へも「我が命」へも
そんなに執着がないように思えた。
ジャケ写真ばかり、ぼーっと眺めながら聴いているからかな?
ほとんど目力がない表情。
何かに対して強い欲望も激情も抱くことがないような。
この歌からは、歌詞とは相反して、諦念・諦観のようなものが感じられた。
先入観を持たないよう、具体的なトスカの上演や
カヴァラドッシという役についての情報を入れないで聴いたのだけど
聴き終わってから、オペラのレビュー等を検索してみると
カヴァラドッシについては、もっと振幅のある感情―
深い絶望と共に、生への、トスカへの執着や未練を十二分に抱えて―
この曲を歌う、という造形が多いようでした。
その役柄のスタンダード・普遍的な解釈、
も、あるのかもしれないけれど、それらのレビューとは異なる
(私が目にした範囲の、ではありますが↑↑)
それらとは、ちょっとアプローチの違う(と感じた)
幸二郎さんの描く、告別の歌なのでしょう。
03:ザ・プレイヤー
なにか凄く、クラッシック&オペラ色の強いコンセプトのアルバムと思っていたので
タイトル曲が、どちらかというとAOR系の、クリエイターのものであるのが意外でした。
タイトルナンバーは、勝手に、教会音楽チックなものを想像していたので
本当に、意外でした。でも、朗々と歌い上げている、星は光りぬより
この曲の「差し伸べるこの手に」のあたりが、
ある種、より力強く言葉が伝わってきて魅力的。
揺るぎのない、確信に満ちた言葉。
(ま、絶望の深淵と向かい合っているカヴァラドッシより
救済を確信している―であろう、この曲の主題者の方が、
パワーに満ちているのは当然かもしれませんが)
最後の、「信仰のその先に救いがあることを」というなんだか観念的な文言を、
すっきり歌うことによって上手くメロディに乗せていましたね。
このラスト2行、本当に難しいと思う・・・
歌詞、という概念を越えてるような気がします。
04:私はイエスがわからない
〜「ジーザスクライストスーパースター」より
私は、この曲が分からない〜♪^^;
ジーザスクライストスーパースターのタイトルは、
まだ、私が、ミュージカルに(まったく!)関心がなかった頃も、
世間的には、かなりネームバリューがあったので知ってました。
全然、信仰は持っていなかったけれど、
ロックンロールでイエスっていうのが、何か違和感があって
記憶に残ったのかなと、自己分析してますが。
イエス信仰の中で、もっとも象徴的な存在であるマグダラのマリア。
でも、このCDの中で、幸二郎さんが歌うとき
複雑な背景は消えて、一人の女のフツーのラブソング、に聴こえる。
05:アンセム〜「チェス」より
04の私はイエスが分からない、のアンサーソングでは
全然ないのだけれど、冒頭の歌詞が被ります。
愛の対象や実体は異なっても、何かが自分の中で啓けていく感覚。
この「チェス」も、やはり、私にとっては見知らぬ物語りであり
そして、これを書いている段階でもまったく不明で
どんなストーリーの、どんなシチュエーションで歌われるものなのか
分からないのですが…
詩だけ読んでいると、「何が」「なぜ」「突然」と
困惑を思わせる文言が続くけれど、
曲に乗り、幸二郎さんの声に乗ると、すでに精神は
その発している言葉より、先の次元へ到達している感じ。
その、啓けたところにある、新しく生まれた感情への賛美?
間奏のヴァイオリンの音色、そして、そのまま歌と共鳴しつつクライマックスへ進む
ドラマティカルになり過ぎない、この曲調を損なわない盛り上げ感が好き。
06:ブリング・ヒム・ホーム〜「レ・ミゼラブル」より
このCDの中で、唯一、既知の曲。
だけど、今まで聴いた、どのブリング・ヒム・ホームとも異なる
どのバルジャンにも似ていない、岡幸二郎に属するブリング・ヒム・ホーム。
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