個人的に、フラワー・トラヴェリン・バンドの「Make Up」の映像に期待していたんですが、 収録されていたのはYouTubeにて公開の某映像にスタジオ音源を被せただけのものでした。 また、その他の多くの演奏シーンの映像も既出のものばかりで、まったく肩すかしです。
70年代当時の日本のロックの映像が1つのアーカイヴとして集約されたことは意義深いとは思うし、 そうした資料的なものとしてはそれなりに良い作品かもしれません。 が、1つの映画作品として観た場合はちっとも面白くもないでしょう。 なにしろ、内田裕也さんや近田春夫さんといった人達へのインタビューの合間に、 昔の映像が時系列もばらばらにダラダラ挟まっているだけの薄っぺらな構成でして、 映画のはじまりと終わりを内田裕也さんへのインタビューで纏めて、 どうにか全体を締めているだけの映画ですから。
インタビューをもうちょっと幅広く、細かくやって、 当時のレコード会社のディレクターだとか、ロックから別の方向へと流れていった人達とか、 そういう人達の証言も取り込んでくれていたら、奥行きのある見応えのある映画になったのでは。 例えばその後のYMOのメンバーがいたエイプリル・フールの人達だとか、 モップスから名プロデューサーへ転身を遂げた星勝さんとか、 ヒーリング・ミュージックみたいなものをやるようになった喜多郎さんとか、 話を訊くべき人は、いっぱいいたでしょう?
これでは「ロック誕生」というよりは、「内田裕也誕生」ですよ。 内田裕也さん、大好きだからこれでもいいんだけど(笑)。
マニアックな本を刊行し続けている、国書刊行会の某氏の編集ワークだが・・。 彼が編集した本ということで「期待度を上げすぎていた」分、イマイチという読後感。近田春夫の書評文体は悪くはないのだが、取上げられる本に、あまり驚きがない・・。
たとえば、白洲正子の名前がこの本の中には何回が出てくるが・・。それは近田が自分で発見したものではなくて、連載時の担当編集者の三宅菊子(anan創刊時のメイン・ライター)の薦めによるもの。近年の「白洲正子神格化」にウンザリしている者としては・・。「お勉強」めいたこのヤリトリに、ちょっとゲンナリしてしまう。
なお、連載時には毎回「挿絵」としてついていた故・渡辺和博による、取上げられた作家についてのイラスト(彼が死去するまで分)が、本のカバー・見返し・表紙に「完全収録」されているのは嬉しかった。(申し訳ないが・・近田の文章よりも、渡辺の絵(+コメント)のほうが面白い・・)
とはいえ、近田春夫がフィリップ・K・ディックの大ファンだというのは、この本で始めて知った。この本の中でも二冊が取上げられている。ちなみに、山形浩生にその訳文を罵倒されている飯田隆昭の訳を、近田は「自分的にはディックにはこの人が最適」と評している。確かに、明解な訳文より、ぎこちない文体のほうがディック的には「クル」ものがあるかもね。
細かいことを指摘すると・・。マイケル・ペイリンの「ヘミングウェイ・アドベンチャー」という本を紹介しているのだが、「著者はイギリスの作家」とだけある。 この人があのモンティ・パイソンの一員だってことは、たとえ近田が知らなくとも、その本の訳者あとがきとかに書いてあると思うのだが・・・。
初めてこれを聞いた時のショックは忘れられない。「なんやこれ!!おもろいやん」、どう表現したらいいのか難しいのですが、ハルヲフォンにかかってホンマの歌のよさが表現されたという感じがしてます。この歌を自分なりに歌ってみようという選曲の耳の確かさが絶妙ですが。本当はメジャーになってしかるべきアーティストだと確信してますが、あんまり有名にならず、知る人ぞ知るアーティストであって欲しいという気持ちもしております。何でも出来て、先が読めて、多才、器用すぎるのでしょうか?近田春夫の究極の1枚です。楽しいです。最後に「東京物語」はもう素晴らしいの一言に尽きます。
この仕様で2500円は高すぎ、と感じます。
歌詞とライナーの記載がカラーコピーみたいなのは良しとしても、レコーディングデータがライナー中に記載されているメンバー紹介のみ。リマスターもされてないようです。
資料、音質面でのメリットもない、この音楽をほったらかしにしているのに、値段は新録のアルバム並みですか。
数が売れることを期待していないからこの販売体裁なんですよね? 一応は埋もれてしまうのを防ぎ、公開していてくれてる訳ですが、 販売になんの努力もしないのなら値段は1500円位が適当でないかと考えます。
ファンは購入するでしょうが、発売元のこの姿勢には気分が悪いです。
音楽は最高です。
評論の書き手には何が求められるか。知識量だろうか、知的水準だろうか。だがそれは、 難解な分野でこそ役立つのであって、誰でもわかるような大衆文化については頭の良さ で攻める批評家はコケる。大衆文化を切るのに必要なのはただ一点、切り口、センスだ。 この『考えるヒット』は、そのことを如実に示している。本書は音楽批評家の近田春夫がそ の真骨頂である歌謡曲批評にしばらくぶりに帰ってきた著作だ。週刊文春誌上で97年の ヒットチャートから毎週2枚をピックアップして批評した連載がもとになっている。
ページにこだわらず、ペラペラめくりながら気にとまったページから読むのがお勧めだ。それ はJ-POPが非歴史的(つまり進歩のない!)であるからでもあるが、それ以上に近田の批 評が、時代の文脈から独立して面白い、これにつきる。場合によれば、作品に勝ってすらい ることがある。
近田の批評の魅力はなんといっても、歌謡曲批評でありながら、楽曲や歌詞の枠にとらわ れず、ジャケット批評や芸能人批評まで射程に入れているということだ。もちろん楽曲批評 の濃度も高い。しかしそれだけでなく、猿岩石有吉のジャケットの眉毛がカールしていること も、桜井和寿が不倫スキャンダルで各社にまめに送った謝罪文も、それらすべてを集約して 初めて「J-POP」なのだというのが、彼の理解なのだろう。
批評の言葉も、難解な言葉遣いでないしウダウダ書き連ねているようでいて、突如として対 象の本質に貫く切れ味のよさ。なおかつ読みながらニヤニヤしてしまうのは、それが面白す ぎるからだ。「THE 虎舞竜に関しては、私はロード的存在であることしか知らぬ」これ以上に 端的に高橋ジョージを評した言葉が、他にあるだろうか?
このよい力の抜け方は、もしかすると選曲者別立て方式によるのかもしれない。自分で選ん でないからこそ、肩に変な力が入っていない。もうJ-POPは聴く時代から読む時代に移った のかもしれない。解説は、自身近田の影響を受けたという評論家の宮崎哲弥が寄せている。
|