小学3年生の子どもが、夢中で読んでいます。授業で歴史を習う前に、おおまかな歴史の流れがつかめるので、おすすめです。他の歴史漫画よりも、絵が子どもの気持ちにすんなりと入ってくるようです。
約20年前に光栄(現・コーエー)からリリースされた、歴史シミュレーションゲーム「蒼き狼と白き牝鹿・ジンギスカン」のサウンドトラック。
今やアニメ・ゲーム音楽界の巨匠とも言える作曲家・菅野よう子氏が全11曲中10曲を担当。ボーカル曲の作詞は売野雅勇氏、歌は日本オペラ界の重鎮・中島啓江氏が参加するなど、今にして思えば、錚々たる面々が連なっている、名盤。
世界制覇を成し遂げた英雄・チンギスハーンを主人公にしたストーリー性のある曲が揃っている。疾走するモンゴル騎馬軍団とチンギスの夢と野望を見事にマッチングさせたオープニング・元朝秘史から始まり、白き牝鹿・女たちのドラマとも言える、トラック5・オルド。騎馬軍団の荒々しさとは対照的に収録された、トラック6のヴォーカル曲「東ヨーロッパ」、トラック7の「西ヨーロッパ」。チンギスの勇猛さを引き立てる傍ら、癒しの曲としても絶品。トラック9のモンゴル高原は一聴の価値有りです。
ちなみに、トラック4の「モンゴル帝国」は、90年代後期から2000年代前半にわたり、PS等のコンシューマ機で発売されているコーエー作品の同社ロゴのBGMになっているので、こちらも注目だ。
この手のゲームにあるように、最初は臨場感があり楽しいものの 後半は大兵力と優秀なゆにっとによりかなり暇となってしまいます。 特に内政で学術などの数値を上げれば天才的な将軍が簡単に 入れる事から、後半かなりバランスを崩してしまいます。 基本的には面白いゲームですが、もう少し難易度があればいいかなと 思います。
他レビュアーの「世界史の教科書的なつまらなさ」評は理解と同情可。著者はそれを覚悟の上で、長い時間をかけようと時代を経て結局は最後まで残る“よりよい歴史”(『歴史とは何か』)を記述することへのコミットメントから(単に読者の嗜好に迎合せず)本書の単調とも言える文体を採用したと私は判読。歴史の本質を突く岡田氏の同書に従えば、チンギス・ハーンの王統を軸とする史実展開は、少なくとも古くからの日本人の歴史の読み方の慣習(日本書紀の天皇系譜中心史観の影響)にマッチして読み易さを後押しするはず…。また“よい歴史”の条件を提示しながら既成の歴史観を根底から斬る同書自体、大変興味深く読ませます。歴史書のマーケットは往々にしてロマンを伴う“神話”的要素にあり、それはわずか二百年のしかし今日厳然と存在する「国民国家」文化に制約された所属個人のアイデンティティ刺激に成立する、のですが、これは“悪い歴史”で、各国民の歴史認識を自国中心に分離・固定化、近隣諸国民同士の共通認識を困難にし、進み行く国境撤廃・多文化共生時代指向の潮流にも負の遺産。著者はこうした持論の実践として「普遍的な個人の立場」から「一貫した論理」で「歴史的真実」を求めたはずです。それにしても著者の十八番である、帝国が東の中国世界と西の地中海世界を結ぶ「草原の道」を支配しユーラシアの人々を結び初の世界史舞台を準備した点や、帝国の継承国家として現代のアジアと東欧諸国を派生させた経緯が、巧く浮き彫りになる構成と展開も望まれます。世界の歴史に果たしたモンゴルという遊牧民の役割の大きさ、二十一世紀の今日にも歴然と残るその影響が、著者にはありありとしていても読者には物足りないと言えるのでは。また帝国史に用いた主たる資料の採用理由と、補足資料の批判の概要も書名とともに列挙できれば、との感想です。
杉山教授の想いのこもった記述が印象深い。モンゴル節は教授の他の著作でも読めるが、中国から贈られた2,000点あまりの拓本を一括して収蔵する建物「華雨蔵珍之館」に関する記述が異色。華雨蔵珍之館は中国山東省曲阜市名誉市民山浦啓榮氏(2003年死去)が創設したアンタレス山浦財団が1991年曲阜市の姉妹都市足利市に開館し、学者の研究だけでなく市民の閲覧に供している。若き日の杉山教授が山東省で山浦啓榮氏と出会ったのがきっかけとなり、組織的な拓本収集、公開に至るいきさつがドラマチックに語られる。
|