30代のまだまだこれからという時に膠原病で引退を余儀なくされた名ピアニスト、田中希代子の記録である。ワルシャワの古参の音楽ファンは、ショパン・コンクールでの彼女の演奏をよく覚えているそうである。
ここで弾かれるサン=サーンスのピアノ協奏曲第5番と第4番は、オーケストラの音に時代を感じさせるものの、真面目一徹な奏楽が微笑ましい。第5番は、ピエール・デルヴォーの指揮で、第4番のほうはディーン・ディクソンが指揮している。 どちらの指揮者も、オーケストラの能力の中で出来る限りの多彩な響きを引き出そうと奮闘しており、それに全力で応えようとするオーケストラの気迫ゆえに、単なる「下手」で片付けたくない思いが残る。 そうした真面目一徹の延長線上のはるかに高い地点で音楽を奏でていたのが田中だった。 第5番の協奏曲の第2楽章など、音楽に没入するあまり、聴き手は姿勢を正して聴かざるを得ない。この演奏に対して余裕が感じられないなどという感想を持つことが、なんだか演奏者に対して失礼なようで、気が咎めてしまう。技術的限界で危なっかしい演奏なのではなく、錘のようなオーケストラと渡り合いながら、もっと素晴らしい演奏をしようという前向きな姿勢が感じられる。
第4番のほうも素晴らしい演奏。ディクソンの棒はデルヴォーに比べると幾分大味だが、田中のピアノがピリッと効いていて、音楽が散漫になることを許さない。音楽に真剣に向き合うことの大事さを懇々と教えてくれる演奏だと言えるだろう。
ドビュッシーは技術的に難易度の高い数々のピアノ作品を残しているが、これは私たち一般人でも弾いて楽しむことのできる小品集。晩年に近くなってから授かった娘への愛情がこの曲集にちりばめられており、弾いて「ほっ」とできる・笑顔になれる、そんな無邪気な曲集だと思います。個人的に大好きなのは第4曲の「雪が踊っている」。私に理由を聞かずに弾いてみてください。雪が踊っているってこういうことなのかと気づかせてくれるはずです。
才能に恵まれたピアニスト田中希代子を知らなかった人には、とてもよく書かれていて興味深く読めると思います。
しかし当時の世界の音楽界と日本の関係について著者なりの新しい視点が欲しかったし(特にハイフィンガー奏法うんぬんに関するくだりは中村 紘子女史の著述とかぶる事柄が多く関心しなかった)そこでのピアニストとしての彼女のおかれた立場や評価をもっと詳細に調べてほしかったように思う。(例えば演奏会批評やレパートリー、プログラム等の資料も欲しいところだ)
彼女の残した録音もCD化されているもの以外は調べられていなくて完全なディスコグラフィーとは言えないのが片手落ちである。
彼女のファン、音楽愛好家や専門家には少し物足りない内容で残念。
石川庸子さんの「原智恵子 伝説のピアニスト」や青柳いずみこさんの「翼のはえた指」はこういった点からもっと読み応えがありました。
ラフマニノフは1965年のライヴ。情熱に溢れた名演奏で輝くような高音と素晴らしいスピード感は圧倒される。
抒情的な部分でもセンチメンタルになりすぎることはなく品位良く音楽の推進力が保たれている。
オケをも引っ張っていく燃焼度の高さは例えばアルゲリッチ&コンドラシンのチャイコフスキーのライヴと双璧かもしれない。
ラヴェルは1959年のライヴ。名盤とされるミケランジェリが57年、フランソワが58年の録音ということを考えると同年代に若い彼女が鋭敏で豊かな感性と素晴らしいテクニックでこのようなラヴェルを弾いていたというのは凄い才能を感じる。
ピアノのパートはとても味わいがあり素敵なのだが、残念なことにオーケストラは音楽とリズムになじめず四苦八苦といった風で思わず時代を感じてしまう。
このところ日本人の女流ピアニストは、まるで日本の(あらゆる)地方都市における美容師/美容院のように数が多いけど、その中でたとえばベートーヴェンに関して定評のあるNさんとかUさんなどの演奏と、この田中希代子さんの32番を比べると、前者にはどうしても、日本人的な湿っぽさとか、もっさり感、切れの悪さを感じてしまう。私の音楽感は、はっきりと、「こんなのベートーヴェンじゃない!」と言う。
対して田中希代子さんの32番は、陳腐な言葉で申し訳ないが、完全に「本物」なのである。音も、フレージングも、曲の構造の再現も。強力で截然(せつぜん、'さいぜん'とも読む)とした演奏、と言ったらいいか…。一つ々々の音がくっきりと、ガツン!と切り立っていて、しかも生命感躍動感がある。
生命感躍動感といえば、この同じCDに収められているモーツァルトのソナタも、第一楽章など、ディスコで大音量で鳴らせば立派に踊れるぐらい、スウィング感がある。また丹波明のソナタも、このちょっと難解な前衛曲が、田中氏独特の力感でもって、十分に、"聞かせる音楽"として完成している。
なお、5つ星はあくまでも演奏に対してである。"録音商品の質"としては、テープの保存状態が悪かったり、当時のNHKの番組の時間に合わせるために変奏の反復が省かれていたりで、相当、評価が低くなるだろう。でも、繰り返せば、日本人女性ピアニストの弾くベートーヴェン後期としては、50年近く前の演奏でありながら、いまだに、(女性とか関係なく)とても希少な「本物」である。かつてベートーヴェンの葬儀に参集した2万人のウィーンの若者たちも、この音なら不満なくのれるはず。
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