軍隊の食べ物はどの国でもおおむねうまいと言われているようである。
何時死ぬかもわからぬ世界で緊張を張り巡らせて生きているのだから、せめてうまいものを食べさせないと、士気にもかかわろうというものだ。
しかし、肝心かなめの食べ物が腐っていたり、うじが湧いたりでは・・・・・
「食べ物の恨みは恐ろしい」という。 この映画ほど、それを如実に表している作品に、これまでお目にかかったことはない。
本作品は、単なる社会主義のプロパガンダとして、歴史とともに葬り去られる性質のものではない。 世界を動かすものは、御大層な理想論でもなければ、小賢しい損得勘定のやり取りでもない。 その根本にあるのは、「食」である。
「食べ物」で人を虐げた者は、必ずや、形を変えても、どこかで復讐されるものであることは、いつの時代のどの場所でも、不変の真理であろう。 「人間、最後は金であり、飲み食いである。」と喝破したある有名予備校の名物講師がいたが、まさに、本作品はそのことを、根源から問い、時代を超えて私たちに突き付けているのである。
虐げられた者たちへの勇気を、虐げる者たちへの自制と反省を求めつつ、この映画は、「食べ物の恨み」の恐ろしさを、未来永劫にわたって伝えていくことは間違いない。
世界映画史上の最高傑作の一つして、賞賛され続けて来た、映画の古典である。又、ソ連映画の中では、「戦前のソ連映画の最高傑作が『戦艦ポチョムキン』ならば、戦後ソ連映画の最高傑作は『アンドレイ・ルブリョフ』であろう。」と言った人が居た様に、タルコフスキーの『アンドレイ・ルブリョフ』と対に比較されてもおかしくない、傑作である。 私は、ロシア革命には全く共感しない。しかし、この映画の芸術的価値は、そうした歴史観の問題を棚上げさせるに十分過ぎるほど、高い物である。無声時代の白黒映画が、これほど迫力を持ち、人の心を揺さぶる事は、技術ばかりが進化した昨今のハリウッド映画の空しさを痛感させる物であり、その意味で、この作品は、今こそ、見直されるべき作品である。 それにしても、軍艦における反乱と言ふテーマは、何故、こうスリリングなのだろうか。考えてみれば、『ケイン号の反乱』も、『レッドオクトーバーを追え』も、『クリムゾン・タイド』も、『ユリョン』も、『亡国のイージス』も、軍艦における反乱のドラマであり、その意味では、『戦艦ポチョムキン』の焼き直しに見えなくも無い事は、驚くべき事ではないだろうか?(それに、『沈黙の艦隊』や『ジパング』も?)
(西岡昌紀・内科医)
今までとは違ったアルバムでしたが、もともとニールテナントがやりたがっていたサウンドトラックを遂に実現させたという感じを受けました彼が好きだと言っていたエンニオモリコーネの影響も現れているとも個人的な感想ですが思います。私もエンニオモリコーネが好きなので素晴らしい出来だとおもいました。petshopboysのファンの方たちは意見が別れるとは思いますが真のファンでしたらきっと納得出来るアルバムだと思います。
ソビエト共産党がプロパガンダ映画として作ったといわれるが、現在的な価値で言うならば、スペ
クタクル映画といったほうが良いだろう。水平の反乱シーンや有名なオデッサの海岸の階段から乳
母車が落ちていくシーン、当時の映画の作り方では画期的であり、今でもその価値は失われていない。
思想云々は最後の旗が上がる部分ぐらいで、それほどでもない。むしろ娯楽映画としても通用する。
500円という廉価版でも映像はとてもきれいで満足しています。監督のエイゼンシュタインは来日したときに新聞の「聞く」という漢字が、「門」と「耳」とい全く異なった意味を持つ字が合わさって(会意文字)「聞く」という全く異なった意味になるのだと教えてもらい、異なる場面を合わせてリアリズムを出すモンタージュの手法を考えついたと聞いた事があります。私はショスタコビッチの音楽のBGMも好きで、この盤を見ながらショスタコビッチの音楽が頭の中に響いています。モンタージュという手法で、実物を見るよりリアルに見えます。臨場感を体験する映画と言えます。映画史に残る逸品です。
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