漢字一文字をタイトルとする短編集である本書は、そのタイトルがテーマそのものとなっており明快この上ない。わかりやすい、そして自分の心に馴染みやすいがゆえ、哀しくもあった。長崎市役所の原爆関連の部署で働く作者らしい視点、そして忘れ目を背けたい一方で、決して風化させまいとする努力が伝わってきた。人間はいつの時代でも人間であるしかないのだなと改めて思う。
しかし、なぜ日本における「きりしたん信仰」というある種特異な中心地に、世界で二つしか投下されていない(今のところ)原子爆弾は炸裂したのか。祈りと怒りが静かに渦巻く土地、長崎。何か悲しい運命を感じてしまう。
著者は現役で今も長崎市役所勤務とのこと
本書に収録されている4作品の内の3つは長崎が舞台で1つは熊本というのも、そうった事情からだろうか
個人的に長崎は何度か訪れた場所で、文章に書かれる風景が、その景色を思い出させた・・
芥川賞をとった作品よりデビュー作の「ジェロニモの十字架」の方が面白かったかし、それとりも「泥海の兄弟」の方がよかったかも・・
詩のように美しい言葉で紡がれた切ない短編集。被爆者の心情をこんなにも人間的に現せるなんて。主人公たちはみんなどこか病んでいる。そして少しづつ私自身の分身であったりする。何度も「うん・・うん」とうなずきながら読んでいた「虫」のなかの、「あのひとはウマオイなのです。飛びそこねて爆心地におりてきたウマオイなのです。ウマオイは神をしりません」という言葉、「マリアさまはただの白磁の人形たい。中は空洞」という男の言葉。圧巻は「まだ生きておるね?」ととうウマオイの声。凄いなあ〜深い。手放せない一冊です。
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