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他の方は評価が低いようですが、自分は4つ付けました。
 FD vs NSX の決着までが収録されています。
 2本目からの緊迫したバトルやギャラリー(主要メンバーの解説など)が楽しめます。
 ダウンヒルについては、首を長くして待つことにします。。。
 
 
   
橋本 治さん(1948年 - )は、杉並区の牛乳屋さんの息子さんで、昭和三十年代の商店街でコドモ時代をすごした人です。
 それはちょうどテレビ放送がはじまり、
 ラジオがパーソナルなおしゃべりの深夜放送をはじめ、
 少年マガジンその他が出版された時期であって、
 早い話が、大衆文化が猛然と文化全体を覆ってゆく時期。
 橋本さんはそんな時期にコドモ時代を送り、東京大学国文科へ進み、
 卒業後は、女子高生一年C組  三十四番  榊原玲奈の一人称語りの、
 ベラベラうるさく、女子高生の内面をその語り、
 女子高生にも内面があり喜怒哀楽があるというあたりまえの現実を、
 (携帯電話すら存在しなかった時代に)、リアル口語文体の創造でもって描いた、
 (サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』級の)反小説『桃尻娘』で、
 世の中の度肝を抜いた人です。
 
 その後の橋本さんのありとあらゆるジャンルでの多彩な執筆活動は、
 いわばスーパー町人作家と呼ぶべきもので、
 橋本さんは、われわれ(?)庶民を代表し、庶民のために、
 『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』で少女マンガを賞賛し、
 『熱血シュークリーム』で少年マンガの心を論じ、
 『男の編み物、橋本治の手トリ足トリ』で啓蒙主義の本領を発揮し、
 枕草紙をギャル語に翻訳し、源氏物語を「おれ」の一人称物語に翻訳します。
 身近な文化の美質を賛美し、いわゆる上位文化をていねいな説明で庶民にプレゼントする。
 それは橋本さんただひとりの手になる文化大革命でした。
 そこには橋本さんの尽くしがたい親切と、岩のような、ど根性があって。
 
 他方、橋本さんの明察のとおり、
 社会の大衆化が進むと(みんな多かれ少なかれ賢くなって)いわゆるむかしながらの大衆はいなくなるもので、
 橋本さんの指摘のとおり、大衆が賢くなったあげく、
 偉そうな文体の新聞や出版界はその文体のゆえにいまや見捨てられかけていて、
 それについては関係者以外、誰も困らないこととはいえ、
 それと同時に、とにかくがんばって冒険活劇ハッピーエンドの講談や吉川英治の宮本武蔵も、
 ひいてはチャンバラ小説もまた(当然のように)忘れかけられつつあって。
 だからと言って、挫折を込みの人生の陰影を描くいわゆる純文学も衰退しつつあって。
 
 いまや経済成長の限界もつきつけられ、ありとあらゆる価値観が問い直されているにもかかわらず、
 誰も新しい価値観(=人生の物語)を提示できないという、恐ろしい現実につながってもいて。
 最強の庶民の味方、町人大作家、リアリスト橋本治さんのとまどいもまた、たぶんそこにあって。
 ここ三十年、日本で誰よりも啓蒙主義を実践してきた橋本治さんならではの、
 それこそ誇るべきとまどいではないかしら。
 
 
   
 「菅原」「千本桜」「忠臣蔵」の三つが、竹田出雲、並木千柳(宗輔)、三好松洛という、三人の優れた劇作家が書いた、とありますが、「菅原」は初代出雲、あと二つは、はじめ小出雲といった二代出雲でありますから、三人ではないのです。連載中から指摘していたのですが遂に直らなかったのは残念です。一般には宗輔が中心となって書いたとされます。 
 
 
   
地方局のネットワークというマイナーな条件の中豪華なスタッフと熱意と才能あるキャストとのコラボによって
 息をもつかせぬ素晴らしいアクションと、思いもよらない奇想天外なストーリーが生まれ
 これまでにないドラマに仕上がっている『戦国★男士』。
 このBlu-rayには、その熱い撮影の日々について
 今ならではの裏話とチームワークの良さが楽しめるオーディオコメンタリーが副音声で収録されている上
 あまりにもたっぷりで爆笑必須のメイキングとキャストの談話
 そして主役トリオによるユニットDATEが歌い踊る主題曲『HAZAMA』PVが入った特典DVD、
 さらに市販されていない『HAZAMA』のCDまで特典としてついている。
 一度でも『戦国★男士』を観てその世界が気に入った方
 滝口幸広・平野良・内田譲・橋本淳・山本匠馬・鈴之助・三浦力のファンの方なら
 絶対に満足できるBOXだと思う。
 
 
   
「自然主義」とは「自然をそのまま書いたもの」で、だから「性欲垂れ流しの私小説」になりかねないという「誤解」に対して、著者は「自然主義」が外国からの輸入であり、神の調和に対して、ありのままの自然を描くもので、権威への反抗であったという「常識」をまず持ってくる。そこから田山花袋の「恋」、国木田独歩の「真」、島崎藤村の「幸福」を語りまくる著者の手腕の見事さに感心する。
 
 恋というものに出会って、内心うろたえ騒ぐしかなくなってしまう人間は、今でも当たり前にいるはずである。現代での悲劇というのは、そういう人間が自分の内面を言葉にしようとすれば、どこからともなく「笑っちゃうね」というような声が聞こえて来そうな状況があることである。(P.116)
 
 とか、相変わらずの橋本節も健在である。
 本書でとりあげられている「自然主義」の小説を、著者は決して評価していない。だから、私もわざわざ原典にあたって読みたいとは思わない。つまり、題材にそれほどの興味があるわけではない。
 にもかかわらず、本書がこれだけ面白いのは、「自然主義」の小説の分析が作家の分析になってしまうのと同様、本書にもまた著者の内面が色濃く表れているからだ。
 藤村がようやく見出した「幸福」を描く場面などは、著者もまた「幸福」を見出してなければ書けない類のものである。だからだろうか、本書の読後感もまた「幸福」に包まれている。
 
 
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